東京

2013年4月27日 (土)

【東京】神宮劇場

神宮球場に野球観戦に行ってきました。

まず、25日(木)、ヤクルト-広島戦。平日でもあるし、巨人戦でもないので、観客は多くないと予想していましたが、この通り。

Img_8709 これは一塁側内野スタンドの様子です。この日は三塁側の方が空いていると思い、三塁側にしたのですが、むしろ三塁側の方が人が多かったようです。
外野には両軍応援団が詰め掛けており、この日の観衆は1万4千人余りでした。

東京にも意外と広島ファンはいるようです。前々日、前田に死球を与え骨折させてしまった江村がリリーフで登板すると、広島ファンから大ブーイング!荒木投手コーチへの野次も酷かったです。

ゲームは二転三転する接戦となり、延長戦へ突入。11回表、丸のホームランで広島が勝ち越した直後の11回裏、なんと電光掲示板が故障するハプニング。

Img_8723 11回裏、宮本のタイムリーで追いついたヤクルトが、12回裏、伏兵の三輪のタイムリーで8-7のサヨナラ勝ち。

試合終了はほぼ11時。途中で席を立つ人も多かったのですが、5時間にわたる熱戦でした。やはり現場で見るなら点がボコボコ入った方が面白いですね。
神宮球場は、東京ドームとともに、ホームランが出やすいと言われており、屋外なので、風の影響もあって、「神宮劇場」という言葉も生まれたほど、思わぬ展開になることが少なくないのですが、この日はまさにそれでした。
電光掲示板の故障は想定外でしたが。ちなみに、最後まで回復することはありませんでした。

さて、27日(土)。この日はヤクルト-巨人戦です。土曜日の巨人戦ということで、予想通りの客の入りです。

Img_8727 巨人戦なので、一塁側の方が取りやすいと思い、一塁側S指定席にしました。
この日の観衆は3万人余り。昼間はそこそこに暖かかったのですが、夜になると寒い。おまけにこの日は風も強かったので、野球観戦に向いているとは言い難い気候でした。

Img_8728 巨人の先発は菅野。

Img_8729 一方のヤクルトの先発は、“和製ライアン”小川。ルーキー同士の対決です。

試合は、ヤクルトが1点を先制しますが、巨人ファンの貧乏人のT君が席を外している間に、坂本の風を利用したインチキホームランで巨人が逆転します。
T君は、この日の巨人の唯一の見せ場を見逃してしまいました。

Img_8735 T君が席に戻った直後、このバレンティンが火の出るようなライナーの3ランを放ち、再逆転。ヤクルトファンの傘と東京音頭の応援が最高潮に達します。

Img_8741 この日は、9時前に試合終了。終わってから気付きましたが、巨人はたった3安打。まあ、この敗戦は、独走巨人には痛くも痒くもないでしょうが・・・。

さあ、次回は東京ドームに行きたいと思います。いつにするか、まだ未定ですが。

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2013年3月27日 (水)

【東京】満開!!!

もう20年以上も税理士業界に身を置いている(勤務時代を含めて)と、確定申告が終わったら春がやってくるという季節感が出来上がってしまっています。

厳寒の冬であったにもかかわらず、東京では例年より早い桜の開花となりました。何とも異常な気候で、さらなる天変地異の前触れでないことを祈りたいところです。

Img_8419 築地にある、とある公園の桜です。冬の間は人影もまばらだったこの公園にも、多くの人がサボリ?に訪れていました。

都心部には、意外と桜が見られる場所は多く、都や区の所有する公園などが点在しています。上野公園のように数万人の人出がある場所だと、桜の花よりも人を見に行くことになりかねないので、こうしたチョットしたオアシスのような場所があるのは喜ばしいことと言えるでしょう。
行政の側も、無制限な開発がなされないように、こういった場所を確保しているのでしょう。もっとも、周辺には建物が立ち並び、ビルに囲まれてしまうのは致し方ないのでしょうが・・・。

満開の桜とともに、気候も良くなってきました。今後は、引きこもらず活動する計画もあります。と思っていたら、また寒さがぶり返してきたようです。
速く本格的な陽気になってほしいものです。

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2012年7月23日 (月)

【東京】東京十社巡り⑦ 氷川神社

盞梅雨も明け、本格的な夏がやってきました。外を歩くのがおっくうになりがちです。

東京十社巡りも、あと3ヶ所。夏の間に行ければ・・・。

氷川神社という名の神社は、数ヶ所あり、ここは、赤坂氷川神社と呼ばれることが多いようです。

東京メトロ千代田線赤坂駅、都営大江戸線六本木駅のいずれからでもちょっと距離があり、赤坂側からだとやや上り坂になります。
このあたりは、都心にしては閑静な場所です。

Img_7696 Img_7704 この神社の起源は、951年、一ッ木台地であったそうで、1730年、八代将軍吉宗によって当地に遷宮されました。

Img_7701 Img_7703 御祭神は、素盞鳴尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむぢのみこと)。

素盞鳴尊は、天照皇大神の弟神で、ヤマタノオロチを退治したことから「厄除け」、奇稲田姫命と結ばれたことから「縁結び」、大己貴命は別名「大国主命」で「商売繁盛」の御神徳があるとされています。

なお、「氷川神社」は、全国に261社あり、本社は埼玉・大宮の武蔵国・一ノ宮氷川神社で、ここから分霊されて祀られており、御祭神はどこも同じであるということです。

都心の神社を訪れると、「都会にもこんな静かな場所があるのか」といった声をよく聞きます。そんな言葉がひったりの神社です。

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2012年6月 5日 (火)

【東京】東京十社巡り⑥ 亀戸天神社

東京十社巡り、今回は亀戸天神社です。

Img_7687 錦糸町駅と亀戸駅のちょうど中間あたりの蔵前橋通り沿いにあります。墨田区側からだと、その名も「天神橋」を渡ってすぐのところにありますが、この橋を境に江東区になります。前には、都バス「天神前」バス停があります。

なお、東京以外の方のために念のため、「かめいど」と読みます。

Img_7664 Img_7681 亀戸天神社は、菅原道真公をお祀りしており、本社である九州の太宰府天満宮に対し、「東宰府天満宮」と呼ばれたこともあったようです。

もともとは、道真公の末裔にあたる菅原大鳥居信祐公が1646年、天神信仰を広めるため、本所亀戸村にご神像を御祀りしたのが始まりとされています。
その後、徳川四代将軍家綱によって当地を寄進され、1662年、太宰府にならい、社殿などが建立され、東国天満宮として崇敬されることになります。

明治維新後、東京府社となり「亀戸神社」と号し、昭和11年、現在の「亀戸天神社」と称し、東京十社の一社として現在に至ります。

学問の神様として、試験合格御祈願を受け付けており、「学業成就」の神札を授与されます。

Img_7684_2 亀戸だけに、池にはたくさんのカメが泳いでいます。

Img_7689 亀戸は、下町でありますが、近年、マンションが多数建築され、住宅地の様相を呈してきました。街からは、写真にあるとおり、東京スカイツリーがくっきりと見えます。スカイツリーの開業によって、訪れる人が増えるといいですね。

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2012年5月30日 (水)

【東京】スカイツリー開業と墨田区を考える

5月22日、ついに東京スカイツリーが開業しました。

Img_7650 画像は、開業の翌日、23日のものです。平日でありながら、かなりの人出。簡単に上ることができるようになるのは、相当先のことになるでしょう。

Img_7646 「東京ソラマチ」には、数多くの店舗が出店しており、タワーに上れなくても楽しめるため、東京の新名所として、観光客がどっと押し寄せることになるでしょう。

Img_7652 東武「とうきょうスカイツリー」駅。旧業平橋駅は、小駅でしたが、立派な駅に改装され、一部の特急も停車するようになりました。同時に、「東武スカイツリーライン」の愛称も与えられ、東武では、この線名で案内しています。

また、東京メトロ半蔵門線、都営浅草線、京成押上線の押上駅の側からもつながっており、立地は抜群です。東京の人も、ついでに寄ってみる、ということも可能です。

地元の墨田区にとっても、新たな名所の開業に大きな期待が寄せられています。
墨田区は、都心に近いにもかかわらず、全国的に知名度があるのは、両国国技館くらいで、地味な存在であったと言えます。今後は、スカイツリーのある区として、大々的にアピールするのは当然のことでしょう。

ところが、そうではない現象が起きていることが伝えられています。ソラマチに多くの店舗が出店したことで、地元の商店に人が立ち寄ってくれない。鉄道だけでなく、浅草や上野などから直通するバスが運行するようになり、スカイツリー以外の場所は素通りされるだけになってしまう、という危惧です。

Img_7656 当ブログではおなじみの、吾妻橋からのアングルです。スカイツリーの左手に見えるのが墨田区役所の建物です。

墨田区としては、スカイツリー近辺をゆっくりと散策してほしいと考えているのでしょうが、この隅田川のこちら側には浅草があり、スカイツリー~浅草寺というのが新しい観光ルートになりそうで、墨田区の思惑通りにはいかない可能性大です。

東京に来られた方で、時間がある方は、浅草からこの吾妻橋を渡ってスカイツリーまで歩いて、下町の風情を味わってほしいものです。ただ、「そこに何があるの?」と聞かれても答えにつまってしまうのですが・・・。

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2012年5月19日 (土)

【東京】東京十社巡り⑤ 芝大神宮

東京十社巡りも後半戦に入ります。今回は、港区芝に鎮座する芝大神宮です。

Img_7560 都営地下鉄大門駅から地上に出ると、増上寺への御門である芝大門が見えてきます。この門をくぐらず、交差点を右に折れた所に、芝大神宮はあります。

Img_7555 ちょうど、神前結婚式が行われている最中だったようで、終えるのを待ちます。

Img_7558 伊勢神宮の御祭神、天照大御神と豊受大御神をお祀りしており、この二柱を主際神としています。大御神をお祀りする所を、「大神宮」と呼ぶのが一般的のようです。

1005年、一条天皇の代に創建され、千年余の歴史があります。決して広くはなく、ビルに囲まれて大通りからは見えない場所にありますが、由緒ある立派なお宮さんです。

神前結婚式を積極的に勧めているようで、HPにも予約状況が掲載されています。

さて、ここにお参りする人は、増上寺にも行かれることが多いと思います。先ほどの芝大門をくぐって、増上寺にも行ってみました。

Img_7572 徳川家の菩提寺であっただけに、広大な敷地を誇り、かつてはこの芝公園全体が増上寺の敷地だあったそうで、上野公園一帯を敷地とした寛永寺と双璧でありました。

開業間近の東京スカイツリーによって、東京のランドマークタワーの役目を終えることになる東京タワーはすぐそばにあります。

芝公園は広大で、緑がいっぱいです。地方から来られた方は、観光の合間の休憩には絶好です。また、東京のサラリーマンには、有名なサボリスポット?でもあります。

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2012年5月13日 (日)

【東京】東京十社巡り④ 日枝神社

ようやく週末が晴天に恵まれ、傘の心配なく参拝ができました。

今回訪れた日枝神社は、住所は永田町ですが、地下鉄南北線の溜池山王駅が最も近く、銀座線でもそれほど遠くはありません。
この駅は、以前紹介した通り、国会議事堂前駅とつながっていますが、千代田線の同駅は非常に深く、丸ノ内線からだとかなり遠いので、丸ノ内線から来る場合は、赤坂見附駅で銀座線に乗り換えるか、四ッ谷駅で南北線に乗り換えたほうがいいでしょう。

Img_7491 境内へは、いくつかのルートがありますが、外堀通り沿いのここからなら、エスカレーターが使えます。後ろに見えるのが、新装なったザ・キャピトルホテル東急です。

Img_7496 Img_7495 この日枝神社は、江戸氏が山王宮を祀ったのが始まりとされ、1478年、太田道灌が江戸城を築城するにあたり、鎮護の神とされました。
御神祭は、古事記に登場する「大山昨神(おほやまきひのかみ)」。

その後、1590年、徳川家康が江戸城を居城するにあたって、城内鎮守の社として、徳川家から崇敬を受けました。

二代将軍秀忠の時に、隼町(現在の国立劇場付近)を社地としますが、1657年、明歴の大火災により炎上し、四代将軍家綱が現在の地に社殿を建造しました。

明治維新により、准勅祭社とされ、社号も「日枝神社」となりましたが、広く「山王社」と呼ばれ、現在でも「山王さま」と呼ぶことも多いようです。

1945年、戦災により当時の建造物は焼失しますが、1958年、本殿が再建され、その他の建造物も逐次完成し、1967年、奉祝祭が挙行され、現在に至ります。

Img_7498 宝物殿の中は狭いですが、太田道灌の銅像、徳川家康の朱印状などが展示されています。御朱印もここでいただきました。

ここの山王祭は、江戸三大祭りであるとともに、京都の祇園、大阪の天満とともに、日本三大祭りとされています。例祭は6月に行われます。

このあたりは、国会議事堂にも近く、周辺道路には警備員が立ち、物々しい雰囲気がありますが、土日は人の姿も少なく、交通の便もいいので、都心のおすすめスポットです。

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2012年4月22日 (日)

【東京】東京十社巡り③ 根津神社・白山神社

今にも降り出しそうな空模様の中、東京十社巡りの第三弾を敢行しました。

大手町駅から地下鉄千代田線で根津駅へ。不忍通りを少し歩いた所に、根津神社入口の表示があり、そこを左折してしばらく行くと、鳥居が見えてきます。

Img_68781 現在、つつじ祭りの真っ最中ですが、今年は気温が低いせいか、開花状況は今一つのようです。

Img_68811 根津神社は、1900余前、日本武尊が千駄木に創祀したと伝えられる古社で、徳川五代将軍綱吉によってこの地に遷座し、1708年、権現造りの本殿、拝殿などが完成しました。

Img_68831 Img_68881 綱吉の時代に築かれたこれらの建造物は、関東大震災にも太平洋戦争にも耐え抜き、現在も堂々とした姿を見ることができます。

毎年9月21日には、例祭がおこなわれます。六代将軍家宣が奉納した大神輿三基は現存しており、天下祭と呼ばれ、江戸三大祭と呼ぶ人もいます。

※ 江戸三大祭は、山王祭、神田祭の二つは定説ですが、後の一つは、三社祭、深川祭、この天下祭と諸説あり、定着していないようです。

根津神社の北口を出て、西の方へと歩きます。このあたりは、千代田線、南北線、都営三田線と南北に伸びる路線が並行していますが、東西に走る路線はなく、一度引き返して電車に乗るよりは、歩いた方が早いのです。

本郷通りを越え、旧白山通りから少し入った所に、白山神社はあります。

Img_6899 境内に入ってびっくり!誰もいません。

Img_6901 静まり返った拝殿の前にいると、ポツリポツリと参拝に来られる人の姿がある程度。ここはあじさいの名所であるそうで、あじさいが咲く6月には、もっと多くの人が訪れるのかもしれませんが、あまりにさびしい。ここは、御朱印も書き置きしたものに日付のみ入れるという形式です。

この白山神社、もとは984年、加賀一宮白山神社として現在の本郷元町に創祀され、足利尊氏により国家平安祈願所とされます。
江戸時代、四代将軍家綱により現在地に遷座しますが、二度にわたる火災により、什器祭具等を焼失します。

その後長きにわたり本殿のみでありましたが、明治32年に拝殿が建設され、昭和9年に改修ののち、正遷座大祭が施行され、現在に至ります。

地下鉄白山駅からさほど遠くなく、立地は悪くないので、もっと多くの方に参拝していただきたいものです。

なお、「白山」の地名は、この白山神社の所在地であったことから、また小石川の地名も、加賀国石川郡よりこの神社が奉勧されたことによるそうです。

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2012年4月14日 (土)

【東京】東京十社巡り② 神田明神

今年はなぜか週末になると天候が崩れることが多く、今回の画像は以前に撮影したものを使用します。

東京十社巡りの2回目は神田明神。実は3月31日から4月5日まで、神田明神春まつりが開催されましたが、混雑するまつり期間は避けて参拝してきました。

なお、ここで開催される神田祭は、日枝神社の山王祭、富岡八幡宮の深川祭とともに、江戸三大祭とされています。(深川祭の代わりに浅草神社の三社祭とする説もある)
神田祭は、2年に1回開催され、昨年が開催される年でしたが、東日本大震災の影響で中止となりました。

Img_6623 神田明神は、御茶ノ水と秋葉原の中間あたりにあり、御茶ノ水駅からだと、前回紹介した聖橋を渡って湯島聖堂の交差点を折れ、少し下った所にあります。秋葉原からだと、あの無差別殺傷事件が起こったソフマップのある神田明神下の交差点から、神田明神通りを上ることになります。事件を起こした加藤某は、神田明神方面から車でやってきて、秋葉原の歩行者天国に突っ込みました。

正式名称は「神田神社」といい、地図等ではこちらで表記されることがありますが、一般には「神田明神」として親しまれています。

Img_6625祀られているのは、一ノ宮・大己貴命、二ノ宮・少彦貴命、三ノ宮・平将門命です。 この神社が創建されたのは730年で、当初は、、「将門の首塚」と呼ばれる将門塚(しょうもんづか)の近く、現在の大手町付近にあったそうです。
当時、将門塚の近辺で天変地異が頻発し、人々がこれを将門公の神威として恐れたため、真教上人がこれを鎮めるために奉祀して以降、戦国時代の武将などに崇敬されます。

関ヶ原の合戦に臨む徳川家康に戦勝の祈祷を行い、勝利した日を神田祭の日とされ、その後、徳川将軍家より祭礼の命が出されます。

1616年、江戸城表鬼門守護にあたるこの地に遷座し、幕府だけでなく江戸庶民にも崇敬されます。

明治維新後、明治天皇が御臨幸され、准勅祭社に指定されます。

Img_6630 ただ、その際、平将門は、天皇家に対し反乱を起こしたという理由で、明治時代に祭神から外されてしまいます。祭神として復帰したのは、ずっと時代が下った1984年にのことです。

当時の社殿は関東大震災で焼失しますが、1934年、当時としては画期的な鉄筋鉄筋コンクリート、総朱漆塗の社殿が再建されました。
東京大空襲では、この社殿はわずかな損傷のみで戦災を免れています。

現在は、「江戸総鎮守」として、神田だけでなく、日本橋、秋葉原、丸ノ内、大手町など、伝統と創造を併せ持つ町々を見守り続ける鎮守とされています。

Img_6662 一ノ宮・大己貴命(おおなむちのみこと)。だいこく様。縁結びの神様。

Img_6638 二ノ宮・少彦名命(すくなひこなのみこと)。えびす様。商売繁盛の神様。

なお、三ノ宮・平将門命(たいらのまさかどのみこと)、まさがど様、除災厄除の神様は本殿に奉祀されています。

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2012年4月 7日 (土)

【東京】東京十社巡り① 富岡八幡宮 

4月に入って少しは温かくなったかと思いきや、また寒さがぶり返す日もあり、なんとも不安定な天気が続きます。温かくなったら、ブログネタを探しに出歩こうと考えていたのですが・・・。

というのは、更新を怠った言い訳で、実はネタはいくつか確保してあり、単に更新をサボっていただけなのです(汗)。これらを少しずつ紹介していくことにしますが、よって、画像はその日のものでないことがありますので、ご了承ください。

さて、最近、御朱印集めをする人が増えているそうで、タレントの中にも御朱印帳を公開する人も現れています。意外にも、若い女性にも神社・仏閣巡りをする人が増えているようです。

そこで、東京に数ある神社を参拝してみようと思いたったところ、「東京十社」というのが存在することを知り、これならすべて東京都内にあるから手始めに最適と考え、実行することにしました。

その第一弾が、江東区にある「富岡八幡宮」です。

Img_6716 地下鉄東西線・都営大江戸線の門前仲町駅から近く、近辺は下町と呼ぶにふさわしい雰囲気が漂います。

この富岡八幡宮は、江戸時代初期、菅原道真公の末裔と称する長盛法印が、深川の小島であった永代島の周辺を埋め立て居住地とした後、1627年に創祀されました。なんと、当時はまだ現在の隅田川はなく、日本橋・京橋と陸続きだったそうです。

後に隅田川の出現によって、日本橋・京橋とは分断されましたが、江戸庶民の参拝の対象となり、この地は中心地から離れた静かな土地として、大名の下屋敷や豪商の別邸が建設されるようになります。
そして、ここに門前町が発生し、東京でも比較的純朴な下町が形成されていきます。現在も町名になっている「門前仲町」は、この富岡八幡宮の門前にあることから命名されたものです。

1855年の安政大地震では、深川地区は多大な被害がありましたが、火災は富岡八幡宮の門前で止まったようです。ただ、拝殿や絵馬堂が破損するなど被害もあったようです。

江戸時代には、徳川将軍家、皇族の参拝も頻繁にあったようで、明治に入り、明治天皇により、准勅祭社に定められますが、直後に東京府の帰属となり、准勅祭社の制度は一時的なものとなります。

後年、1975年に、昭和天皇即位50年に際し、准勅祭社であった10社を「東京十社」と定め、現在に至ります。

Img_6699 拝殿の様子。「富岡」とはこのあたりの地名にもなっていますが、「深川八幡」あるいは地元では単に「八幡さま」と呼ばれ親しまれています。

ここのもう一つの見どころは、「横綱力士碑」です。

Img_6707 なぜここに力士碑があるのかというと、江戸時代には、京、大坂に始まる勧進相撲が盛んに行われていましたが、興行のトラブルから禁令が出されました。この禁令が解かれた1684年、寺社奉行の許可により、ここで勧進相撲が開催されることになりました。いわば、ここは、江戸勧進相撲発祥の地という訳です。(異説もあるようです)

この碑は、1900年、第12代横綱・陣幕が発起人となって建立され、伊藤博文、山県有朋、大隈重信などそうそうたる名士が協賛者に名を連ねています。

Img_67041 ここには、初代から現在に至るまでの横綱が刻名されています。近年は、日本相撲協会の協力により、若乃花(三代目)から、横綱誕生の際、刻名式を行い、境内で土俵入りを奉納されるようになりました。

また、ここには、「大関力士の碑」というのもあります。

相撲と聞くと、両国を連想しそうですが、江戸の相撲の歴史がここで始まったというの意外ですね。

参考:「富岡八幡宮御由緒」・山本博文「東京今昔 江戸散歩」中経出版

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