文化・芸術

2012年12月20日 (木)

【歴史・文化】久留米藩有馬家と水天宮

12月16日、衆議院議員総選挙と東京都知事選挙が行われました。

Img_7908 ここでは、この選挙について書く訳ではありません。

私の居住地の投票所は、中央区立有馬小学校なのですが、この有馬小学校の歴史を調べてみると、興味深いことがわかりました。

この有馬小学校は、1873年(明治6年)、旧久留米藩主・有馬頼咸(よりしげ)氏の寄付によって創立されました。もともとこのあたりは、久留米藩有馬家の中屋敷があったあたりで、明治維新によって屋敷は消滅しましたが、この学校の名にその名をとどめています。

そして、この近くには、有馬家にゆかりのある名所があります。

Img_7917 Img_7916 日本橋蛎殻町(かきがらちょう)にある水天宮です。

ここは、福岡県久留米市にある水天宮の分社ですが、久留米藩有馬家9代藩主・有馬頼徳が三田にあった上屋敷に分霊を祀ったのが始まりで、その後、赤坂に移転の後、1872年(明治5年)、有馬家中屋敷のあったこの地に移転しました。

Img_7914 ここには、天御中主神の他に、安徳天皇とその母・高倉平中宮(平徳子)、その母で平清盛の正室・二位の尼(平時子)が祀られています。

安徳天皇は数え年3歳で即位しますが、源氏との戦いで西へと追われ、壇ノ浦の合戦で源氏に取り囲まれ、平時子に抱えられ壇ノ浦に入水し、数え年8歳で崩御しました。平徳子もその後、入水しますが救助されることになります。その後、京の大原・寂光院で余生を過ごし、平家一門の菩提を弔ったとされています。

平時子に仕えていた官女・按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ)によって、現在の筑後川辺りに祠を建て、安徳天皇をはじめ平家一門の霊を祀ったのが水天宮の始まりとされています。

子供の守護神、安産の神様として崇拝され、現在でも、特に戌の日には大変賑わいます。なぜ戌の日なのかというと、犬は安産であるからだそうです。

「情けありまの水天宮」は「恐れ入谷の鬼子母神」とともに、江戸のしゃれた流行語となりました。

もう一つ、触れておきたいことがあります。今週末、競馬の有馬記念が開催されますが、この「有馬記念」というレースは、久留米藩有馬家の子孫である有馬頼寧(よりやす)氏が創設したレースです。

有馬頼寧氏は、有馬家15代当主で伯爵となり、貴族院議員として近衛文麿の側近となります。近衛内閣で農林大臣となり、大政翼賛会の設立に関わり、終戦後、A級戦犯容疑者として拘束されますが、釈放されています。この間、職業野球の東京セネタース(その後消滅)の経営にも乗り出しています。

戦後は、隠居生活を送っていましたが、農林省から日本中央競馬会2代目理事長の就任を要請されますが、「競馬を知らないから」という理由で固辞します。そこへ、当時、馬主・牧場主であった河野一郎(河野洋平元議員の父、河野太郎議員の祖父)から、「競馬を知らないと言うが、馬が有るではないですか」と言われ、就任を承諾したとされます。

競馬をまったく知らなかった有馬頼寧氏ですが、次々と競馬の改革に乗り出し、職業野球経営の経験から、プロ野球のオールスターゲームにヒントを得て、ファン投票で出走馬を選ぶレースを考案します。この試みは、世界でも初めてのことでした。

こうして開催されたのが「第1回中山グランプリ」ですが、翌年、有馬頼寧氏は逝去します。その功績を讃えてレース名を「有馬記念」と改名して、現在に至ります。

この地に根付いている水天宮と有馬家ですが、総本宮の久留米には行ったことがありません。来年以降、久留米の水天宮を参拝するという目標が出来ました。いつになるかわかりませんが・・・。

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