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2012年12月

2012年12月29日 (土)

【旅】年末の京の旅 銀閣寺~百万遍知恩寺

年末の京の旅2日目。いい天気になりホントに良かったです。

年末ということもあって、観光客も少なく、南禅寺など閉鎖されている所もあるようなので、有名寺をピンポイントに参拝することに。

Img_79791 銀閣寺にやってきました。ここはさすがに人の姿が多いです。

Img_79851 オーソドックスなアングルですが、この時間、逆光になります。

Img_79921 京都の寺院は、とにかく敷地が広いですね。

Img_80081 最上部までやってきました。京都の市中も一望できます。

言わずと知れた超有名寺社なので、あえて解説はしません。ただ、現地でよく聞かれたのが、「金閣寺に比べるとショボい」という声。たしかに、「銀閣寺」と称しながら銀箔が張ってある訳ではなく、見栄えはしません。しかしながら、こちらは建立時のままの姿をとどめていることに価値があるというべきでしょう。

Img_79981 このアングルが絶好ですね。少し写真が傾いているのはご愛嬌。

Img_80171_2 さて、銀閣寺を後にして、通常なら哲学の道を歩くところですが、シーズンオフで人の姿はまばら。ここには、春にやってくることを期待して、立ち去ります。

バスに乗って、百万遍へと向かいます。

Img_80481 Img_80401 百万遍知恩寺です。法然上人ゆかりの社寺ですが、かつてこの地に疫病が流行した際、ここの善阿空円上人が百万遍念仏を唱えて疫病を収め、後醍醐天皇から「百万遍」の号を賜ったとされ、それがこの辺りの地名にもなっています。

Img_80411 本堂内を撮影してよいのかどうかわからなかったのですが、何も言われなかったので。

なお、八坂神社近くにある知恩とは全く別の社寺です。混同する人がいるからか、HPにはその旨の記載があります。

さて、まだ少し時間があるので、京都大学正門近くの吉田神社にも立ち寄りました。

Img_80501 当然のように、どこも初詣モードに入っていますね。こんな年末のあわただしい時期に参拝する物好きは少数のようです。

Img_80541 御朱印をいただいています。銀閣寺は正式には「慈照寺」というそうです。

さて、明日には地元・四国に帰ります。本ブログも、今年はこれにて終了させていただきます。今年一年、ありがとうございました。

では皆様、よいお年を。

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2012年12月28日 (金)

【旅】年末の京の旅 熊野神社~平安神宮

年末年始休暇を利用して帰省します。その途中、夏に続いて、京都に立ち寄ります。

年末に京都?という感じですが、実は、もっと季節がいい時期に訪れたかったのですが、体調の問題もあり断念し、この時期になってしまった訳です。

昼過ぎに京都に到着。道中の新幹線は当然のように満席でした。

雨にたたられたのは、いつものこと(笑)。

午後からということで、あまり時間がないので、夏の続きで、東山地区の2つの神社に参拝します。

まずは聖護院にある熊野神社へ。

Img_7931 Img_7932 この神社は、その名の通り、紀州熊野大神を勧請したのが始まりで、後白河法皇は熊野詣でをしながらこの神社にも尊信を寄せられ、紀州から土砂や樹木を移設したそうです。
そういった経緯もあって、ここは「京都熊野神社」と呼ばれることもあるようです。

御祭神は、わが国最初の夫婦神であるいざなみのみことといざなぎのみこと(変換できない漢字があるので仮名書き)の他に、天照大神、速玉男尊(はやたまのをのみこと)、事解男尊(ことさかのをのみこと)の五柱です。

縁結び、安産、病気平癒に御利益があるとされ、とりわけ病気平癒をしっかりと祈願。
面白いところでは、サッカー守りがあり、サッカー協会のエンブレムの入ったお守りも売られています。

ここから平安神宮まで歩きます。道中には、おなじみの聖護院八ツ橋の総本店があります。

Img_7928_2

さて、平安神宮ですが、ここに最初に訪れたのは、中学校の修学旅行でした。その時は、1976年の放火事件の直後、再建されたばかりだったので、朱色の鮮やかさが印象に残った半面、何か造り物みたいな気がしたものです。

Img_7948 Img_7934 当時から、かなり時代を経て、味をある見栄えになっています。

Img_7946 外国人の団体さんがいた以外は、社殿前の広場は、このとおり人の姿はまばら。

平安神宮は、1895年、平安京1100年を記念して、平安遷都を行った桓武天皇をお祀りして創建されました。その後、1940年、皇紀2600年を記念して、平安京最後の天皇である孝明天皇が合祀されました。

Img_7942

ここもまた、病気平癒にも御利益があるようで、しっかりと祈願いたしました。

ここの近くにある美術館は、本日は閉館。半端ではない寒さもあって、早めに退散します。

Img_7961両社の御朱印もいただきました。

さて、明日もまた、京都の神社仏閣を巡る予定です。天気が回復すればいいのですが・・・。

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2012年12月20日 (木)

【歴史・文化】久留米藩有馬家と水天宮

12月16日、衆議院議員総選挙と東京都知事選挙が行われました。

Img_7908 ここでは、この選挙について書く訳ではありません。

私の居住地の投票所は、中央区立有馬小学校なのですが、この有馬小学校の歴史を調べてみると、興味深いことがわかりました。

この有馬小学校は、1873年(明治6年)、旧久留米藩主・有馬頼咸(よりしげ)氏の寄付によって創立されました。もともとこのあたりは、久留米藩有馬家の中屋敷があったあたりで、明治維新によって屋敷は消滅しましたが、この学校の名にその名をとどめています。

そして、この近くには、有馬家にゆかりのある名所があります。

Img_7917 Img_7916 日本橋蛎殻町(かきがらちょう)にある水天宮です。

ここは、福岡県久留米市にある水天宮の分社ですが、久留米藩有馬家9代藩主・有馬頼徳が三田にあった上屋敷に分霊を祀ったのが始まりで、その後、赤坂に移転の後、1872年(明治5年)、有馬家中屋敷のあったこの地に移転しました。

Img_7914 ここには、天御中主神の他に、安徳天皇とその母・高倉平中宮(平徳子)、その母で平清盛の正室・二位の尼(平時子)が祀られています。

安徳天皇は数え年3歳で即位しますが、源氏との戦いで西へと追われ、壇ノ浦の合戦で源氏に取り囲まれ、平時子に抱えられ壇ノ浦に入水し、数え年8歳で崩御しました。平徳子もその後、入水しますが救助されることになります。その後、京の大原・寂光院で余生を過ごし、平家一門の菩提を弔ったとされています。

平時子に仕えていた官女・按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ)によって、現在の筑後川辺りに祠を建て、安徳天皇をはじめ平家一門の霊を祀ったのが水天宮の始まりとされています。

子供の守護神、安産の神様として崇拝され、現在でも、特に戌の日には大変賑わいます。なぜ戌の日なのかというと、犬は安産であるからだそうです。

「情けありまの水天宮」は「恐れ入谷の鬼子母神」とともに、江戸のしゃれた流行語となりました。

もう一つ、触れておきたいことがあります。今週末、競馬の有馬記念が開催されますが、この「有馬記念」というレースは、久留米藩有馬家の子孫である有馬頼寧(よりやす)氏が創設したレースです。

有馬頼寧氏は、有馬家15代当主で伯爵となり、貴族院議員として近衛文麿の側近となります。近衛内閣で農林大臣となり、大政翼賛会の設立に関わり、終戦後、A級戦犯容疑者として拘束されますが、釈放されています。この間、職業野球の東京セネタース(その後消滅)の経営にも乗り出しています。

戦後は、隠居生活を送っていましたが、農林省から日本中央競馬会2代目理事長の就任を要請されますが、「競馬を知らないから」という理由で固辞します。そこへ、当時、馬主・牧場主であった河野一郎(河野洋平元議員の父、河野太郎議員の祖父)から、「競馬を知らないと言うが、馬が有るではないですか」と言われ、就任を承諾したとされます。

競馬をまったく知らなかった有馬頼寧氏ですが、次々と競馬の改革に乗り出し、職業野球経営の経験から、プロ野球のオールスターゲームにヒントを得て、ファン投票で出走馬を選ぶレースを考案します。この試みは、世界でも初めてのことでした。

こうして開催されたのが「第1回中山グランプリ」ですが、翌年、有馬頼寧氏は逝去します。その功績を讃えてレース名を「有馬記念」と改名して、現在に至ります。

この地に根付いている水天宮と有馬家ですが、総本宮の久留米には行ったことがありません。来年以降、久留米の水天宮を参拝するという目標が出来ました。いつになるかわかりませんが・・・。

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