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2012年4月 7日 (土)

【東京】東京十社巡り① 富岡八幡宮 

4月に入って少しは温かくなったかと思いきや、また寒さがぶり返す日もあり、なんとも不安定な天気が続きます。温かくなったら、ブログネタを探しに出歩こうと考えていたのですが・・・。

というのは、更新を怠った言い訳で、実はネタはいくつか確保してあり、単に更新をサボっていただけなのです(汗)。これらを少しずつ紹介していくことにしますが、よって、画像はその日のものでないことがありますので、ご了承ください。

さて、最近、御朱印集めをする人が増えているそうで、タレントの中にも御朱印帳を公開する人も現れています。意外にも、若い女性にも神社・仏閣巡りをする人が増えているようです。

そこで、東京に数ある神社を参拝してみようと思いたったところ、「東京十社」というのが存在することを知り、これならすべて東京都内にあるから手始めに最適と考え、実行することにしました。

その第一弾が、江東区にある「富岡八幡宮」です。

Img_6716 地下鉄東西線・都営大江戸線の門前仲町駅から近く、近辺は下町と呼ぶにふさわしい雰囲気が漂います。

この富岡八幡宮は、江戸時代初期、菅原道真公の末裔と称する長盛法印が、深川の小島であった永代島の周辺を埋め立て居住地とした後、1627年に創祀されました。なんと、当時はまだ現在の隅田川はなく、日本橋・京橋と陸続きだったそうです。

後に隅田川の出現によって、日本橋・京橋とは分断されましたが、江戸庶民の参拝の対象となり、この地は中心地から離れた静かな土地として、大名の下屋敷や豪商の別邸が建設されるようになります。
そして、ここに門前町が発生し、東京でも比較的純朴な下町が形成されていきます。現在も町名になっている「門前仲町」は、この富岡八幡宮の門前にあることから命名されたものです。

1855年の安政大地震では、深川地区は多大な被害がありましたが、火災は富岡八幡宮の門前で止まったようです。ただ、拝殿や絵馬堂が破損するなど被害もあったようです。

江戸時代には、徳川将軍家、皇族の参拝も頻繁にあったようで、明治に入り、明治天皇により、准勅祭社に定められますが、直後に東京府の帰属となり、准勅祭社の制度は一時的なものとなります。

後年、1975年に、昭和天皇即位50年に際し、准勅祭社であった10社を「東京十社」と定め、現在に至ります。

Img_6699 拝殿の様子。「富岡」とはこのあたりの地名にもなっていますが、「深川八幡」あるいは地元では単に「八幡さま」と呼ばれ親しまれています。

ここのもう一つの見どころは、「横綱力士碑」です。

Img_6707 なぜここに力士碑があるのかというと、江戸時代には、京、大坂に始まる勧進相撲が盛んに行われていましたが、興行のトラブルから禁令が出されました。この禁令が解かれた1684年、寺社奉行の許可により、ここで勧進相撲が開催されることになりました。いわば、ここは、江戸勧進相撲発祥の地という訳です。(異説もあるようです)

この碑は、1900年、第12代横綱・陣幕が発起人となって建立され、伊藤博文、山県有朋、大隈重信などそうそうたる名士が協賛者に名を連ねています。

Img_67041 ここには、初代から現在に至るまでの横綱が刻名されています。近年は、日本相撲協会の協力により、若乃花(三代目)から、横綱誕生の際、刻名式を行い、境内で土俵入りを奉納されるようになりました。

また、ここには、「大関力士の碑」というのもあります。

相撲と聞くと、両国を連想しそうですが、江戸の相撲の歴史がここで始まったというの意外ですね。

参考:「富岡八幡宮御由緒」・山本博文「東京今昔 江戸散歩」中経出版

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