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2012年4月

2012年4月30日 (月)

【旅】京の旅 三十三間堂~清水寺

久しぶりに京都にやって来ました。GW中は、当然のように人が多いのですが、気候もよく、特別拝観などもあるので。

京阪七条駅からスタートします。この「七条」ですが、京阪の駅名は「しちじょう」ですが、京都市バスは「ななじょう」です。道路標識は、「Shichijo」となっています。どうやら、どちらが正しいということはなく、どちらでもいいようです。

Img_72931 三十三間堂に入ります。

Img_72981 この本堂内には、有名な千手観音がありますが、撮影禁止。本堂内はかなりの人でした。

Img_73061 七条通りを少し歩き、東山七条にある智積院(ちしゃくいん)です。
「総本山」の文字があるとおり、真言宗智山派の総本山なのですが、大本山の成田山新勝寺や川崎大師の方が著名になってしまい、ここは人もまばらでした。

Img_73111 総本山だけに、建造物は立派です。

ここから清水寺に向かいますが、清水坂は、急なうえ人も多いだろうと考え、比較的ゆるやかで人通りも少ない「茶わん坂」を通ります。Img_73201

清水寺は5回目になります。

Img_73221 Img_73321さすがの人、人、人です。

Img_73361 清水の舞台と市内の風景。

帰りは、三年坂、二年坂を下り、高台寺にやって来ました。

Img_73551 ここは豊臣家ゆかりの寺です。特別公開中でした。

Img_73611 秀吉の正室・北政所が眠る霊室。
この他にも千利休の茶室などもあります。

ここで雨が降ってきました。このあたりの古い町には、傘を売っているコンビニなどはなく、大通りまで出なければなりません。

この後、八坂神社から智恩院に行く予定でしたが、八坂神社の前で断念しました。

この先は、いつになるかわかりませんが、次回とすることにします。

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2012年4月29日 (日)

【旅】大阪B級グルメ

旅の後半、関西入り後の更新をサボっていました。まとめてUPします。

新幹線で新大阪駅に到着すると、当然のようにごった返しています。ここまで、豊かな自然の中で歴史の旅でしたが、ここからは、人が多い旅に変貌します。

新大阪駅から地下鉄御堂筋線に乗ります。この路線はいつも混雑します。一日の乗降者数は、なんと東京のすべての地下鉄路線をも凌ぐほどです。新大阪~梅田~淀屋橋~心斎橋~なんば~天王寺と、大阪の中心地を貫く路線です。大阪市営地下鉄も路線が増えましたが、この路線一本に頼る経営体質が明らかになり、他路線への誘導を図っているようですが、なかなかうまくいかないようです。

大阪に来たら、必ずと言っていいほど訪れる道頓堀ですが、ここはB級グルメの宝庫です。

Img_5741 「金龍ラーメン」。何軒かありますが、道頓堀の一番奥にある店舗に行きます。セルフサービスの店で、窓際の席に陣取り、道頓堀川を眺めながらいただきます。

ご飯とキムチ、ニラは食べ放題。店は決してきれいではありませんが、この大雑把さが大阪です。こんな店は、まず東京では流行らないでしょう。味にうるさい大阪で、長く営業しているのですから、味はそこそこです。

かつて、不法占拠騒動を起こした「大たこ」ですが、現在は、屋台の後ろに店舗を構え、ゆっくりと食べることができるようになりました。

Img_7289 たこ焼きの店は数多くありますが、店名どおりの、この大ぶりのタコが最高です。

Img_7292深夜の道頓堀川。さすがに灯りは消えていますが、まだ人通りは絶えません。みんな、何をしているのだろう。なんて、人のことは言えませんが・・・。

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【旅】津山城跡と「しいたけ弁当」

今日は岡山から津山線で津山に向かいます。

岡山駅は、GWが始まったことでごった返しています。その中で、津山線、吉備線が発着する8、9番線は人もまばら。となりのホームからは、松山行き特急「しおかぜ」が8両編成の車両をほぼ満杯にして発車していきました。

津山線は2両編成の国鉄時代からの気動車。岡山に到着する列車は、ほぼ満席でしたが、津山に向かう列車は半分程度の乗車でした。

快速で1時間余、津山駅に到着。駅前から、津山城跡へと向かいます。そこには、こんな看板が。

Img_72551 この津山駅には、かつて駅弁販売がありましたが、撤退してしまいました。しかし、調製元の「よし乃」は、津山観光センター内で食堂を経営しており、そこで名物駅弁だった「しいたけ弁当」を販売しているとのこと。
今回の津山訪問は、これが大きな目的であります。

津山駅前は、現在の地方の象徴のような「シャッター通り」と化していました。古くからあったであろう商店は閉店し、一部は取り壊されて更地になっていました。これらを横に見ながら歩くこと10数分、津山観光センターに到着です。

ちょうどお昼時でしたが、「よし乃」の客は4、5人。「しいたけ弁当」を注文すると、すぐに造ってくれました。ここには、「しいたけ定食」というのもあるようでしたが、この地域のB級グルメとして有名になった「ホルモンうどん」が人気のようです。

Img_71891 弁当を受け取り、津山城跡に向かいます。ここは、鶴山公園と呼ばれています。昨日の備中松山城のおかげで、太もももふくらはぎもパンパンです。石段は登りたくないのですが、仕方ありません。

公園内には、人はまばら、途中、地元の人と思われる3人の女性が時期遅れの花見をしていたのと、サラリーマン風の男性がサボリ?をしていた以外は、人の姿はなし。

Img_72341 本丸まで登ると、2人組と1人客がいました。ベンチがあちこちにあり、そこに腰かけて、さっそく「しいたけ弁当」をいただきます。

Img_72061 一時は「デラックスしいたけ弁当」が売られていたようで、この掛け紙は消滅していたそうですが、今回、掛け紙も復刻されました。

Img_72121 できたてを受け取ったので、まだ温かい状態でした。しいたけと鶏そぼろの相性もすばらしく、復刻されたのもうなずける逸品です。

さて、津山城ですが、初代津山藩主・森忠政によって1616年に築城されました。江戸時代には、森家、松平家の居城とされますが、明治の廃城令によりすべての建物が取り壊されます。

その後、1963年に、城郭の主要部分が国史跡に指定されましたが、城の復元には至っていません。

Img_71991 石垣は修復されましたが、建物で復元されたのは、この備中櫓だけです。

Img_72301 最上段の天守跡に上ってみました。今回は無人だったのではなく、少年が2人いましたが、写真撮影の際、よけてもらいました。

Img_72281 天守跡からは、城下を四方から見渡せます。

はたして、この天守が復元される日は来るのでしょうか。

午後からは、家族連れなどぽつりぽつりと訪れましたが、観光地と呼ぶには寂しい状況。もっともっと訪問客が増えれば、復元の可能性は高まるのでしょうが・・・。

さて、岡山に戻り、すでに関西入りしています。明日からは人が多いところに行くことになりそうです。

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2012年4月27日 (金)

【旅】たどり着くまでが難関の備中松山城

特急「やくも」に乗って、山ぎわと川に沿って走る単調な風景をぼんやり眺めて1時間半、備中高梁駅で下車します。

Img_7111 普通なら通り過ぎてしまうであろうこの駅で、なぜ下車したかというと、ここには、現存天守の一つ、備中松山城があるからです。

おそらく、現存天守12の中で、もっとも難関なのがここでしょう。地理的に行きにくいというだけでなく、城にたどり着くまでの苦労が、他を圧倒しているからです。

駅からは土休日にはシャトルバスが運行しますが、平日は、タクシーで行くしかありません。タクシーの運転手さんが、城までの道すがら、備中松山城の解説をしていただき、ゆかりの場所では徐行までしていただきました。

Img_71821 ふいご峠の駐車場。ここから先は、車は進入することができず、歩いて登らなければなりません。なお、ここは、土休日はシャトルバスが運行するため、一般車両はこのさらに下の駐車場までしか行けません。

右の舗装された道を行くか、左の“けもの道”を行くかの選択になります。距離は左の方が短いのですが、かなり急坂を登るとのこと。無難に右を選択し、左の道は帰りにすることにしました。

Img_71151 舗装道路も途中で終り。こんな道に。

Img_71171さらにこんな石段。無人の道のりをただひらすら歩きます。

Img_71191 ようやく城壁が見えてきました。あと一息のようです。上の方からにぎやかな声が聞こえてきます。

Img_71281 なんとか天守前の広場まで到着。先ほどの声は、地元の高校生とおぼしき団体でした。

Img_71321 高校生が出て行ったあと、天守内に入ってみます。中には先客が2人のみ。

Img_71421 現存天守ではおなじみの急な階段を上ります。ここの天守は2階までしかありません。

Img_71451 またしても誰もいません。最上階には展示品などもなく、ただ空間だけがあります。

Img_71501最上階からの眺め。先ほどの高校生たちの姿があります。

高校生たちが立ち去った後、新たに訪れる人の姿が数人。城内は静まり返っていました。

帰りは、“けもの道”の方を通ります。

Img_71781迷わないための配慮なのか、ところどころにのぼりが立っています。
たしかにこちらの方が坂が急ですが、距離は短く、下りなので、かなり楽でした。

こちらの道を登っていく年配の方とすれ違いました。皆さん、元気ですね。いやいや、自分の体がいかになまっているか、思い知らされたような気分です。

ふいご峠まで戻り、行きのタクシーの運転手さんから教えてもらった番号に電話し、タクシーに来てもらいました。

備中高梁駅からは、普通列車で岡山へ。次々と乗ってくる高校生の見て、そういえば今日は平日だったのだと思い出しました。

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【駅弁】松江、米子の駅弁を堪能

このブログをご覧になる方には、駅弁ファンが多いでしょうから、駅弁収穫情報をお知らせします。

まず、松江駅。ここの駅弁屋、一文屋家は、「およぎ牛弁当」や「島根牛みそ玉丼」で京王百貨店駅弁大会でも大好評を博し、輸送駅弁にも多くの出品がある業者です。それだけでなく、駅弁の宅配(ただし冬場のみ)も行っています。
したがって、現地で買うとなると、ここでしか買えないものを選択することになります。

Img_7074 駅の売店には、見覚えある商品が並んでいましたが、「お弁当」を購入。

Img_7076 ごく普通の幕の内風弁当ですが、白魚のてんぷらやあごちくわ、赤貝など、地元の名産が使われています。
ここの幕の内風弁当は、過去に何度か形を変えているようで、これが現在の姿ということでしょう。

名物駅弁の調製元は、幕の内弁当も質が高いです。売り場には大量に積まれていたので、現地ではよく売れてということでしょう。駅弁業者の良し悪しを幕の内で判断する人もいるので、手抜きはできません。

松江駅から、普通列車に乗って米子駅に向かいます。
米子駅では、予約しておいた駅弁を受け取ります。

Img_7086 「大山おこわ」。調製元の「米吾(こめご)」は、「吾佐衛門鮓」で有名で、東京駅「グランスタ」にも出店していますが、この「大山おこわ」は、収穫失敗例をあちこちで聞いていたので、しっかり予約して購入しました。
案の定、数多く商品が並んだ駅弁売り場には、この駅弁はありませんでした。

Img_7099 山中を走る「やくも」は揺れるので、何度も撮り直し。

この駅弁には、由来が書かれたしおりが付いていますが、達筆すぎて読みにくい(汗)。それによると、大山の麓の村で採れた栗、山菜、鳥などを蒸し上げたおこわで、もともと大山寺僧兵の非常食であったそうです。

こういった素朴な味わいこそ、地方の駅弁にふさわしいと思います。量は少ないのですが、おこわなので、結構満腹感が得られます。

できれば、もっと量産して入手しやすくしてほしいのですが、難しいのでしょうか。

さて、「やくも」は伯備線をひた走ります。続きは次の記事で。

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2012年4月26日 (木)

【旅】松江城天守からの眺めを独占!

松江にやって来ました。

松江といえば、お目当ては当然、全国に12ある現存天守の一つ、松江城です。

Img_7021 やはり人影はまばら。ここは桜の名所であるそうで、今月上旬には賑わったことでしょう。

さっそく天守にはいってみます。

Img_7022 Img_7030 現存天守では名物といえる急な階段。この階段は、他では類を見ない桐造りだそうです。

Img_7047最上階に到達してみると、誰もいない!四方からの眺めを独占です。

Img_7042 天守からは、宍道湖も見えます。
いつの間にか天気が回復し、日が差してきました。

松江は、見どころが城の周辺に集中しているので、松江城ゆかりの小泉八雲記念館や武家屋敷などをゆっくりと見て回りました。
ただ、名物の堀川の遊覧船は、客がいないので、係員は手持無沙汰な様子でした。

さて、明日は、伯備線を岡山方向に向かいます。どこへ行くかは、明日のお楽しみ。

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【旅・駅弁】出雲大社と名物駅弁の旅

「サンライズ出雲」は、定刻通り出雲市駅に到着。

Img_6970 出雲に来たら、やはり目的地はここ。

Img_6987_2 日本一の大鳥居が出迎えてくれます。
出雲大社は、現在、平成の大遷宮ということで、大國主大神様の仮住まいの御仮伝での参拝となります。改装中の本殿に遷座されるのは、来年になります。

Img_6979 平日の午前中ということもあってか、参拝客はまばら。ゆっくりと参拝するにはいいのですが、何か寂しげ。

小雨がパラパラと降ってきました。大急ぎで出雲市駅に戻ります。

出雲市駅で予約しておいた駅弁を受け取り、入線してきた「やくも」の車内でいただきます。

Img_6988Img_6994 出雲市駅でそば屋を営む黒崎の「出雲そば弁当」。
出雲そばにかにめし、おかずもついた豪華版です。この駅弁は現地でないと買えないので、以前からマークしていたのですが、やっと食べることができました。

「やくも」で30分足らずで松江駅に到着。続きは次の記事へ。

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2012年4月25日 (水)

【旅】サンライズに乗って

皆様より一足先にGWに入らせていただきます。

Img_6911_10 帰宅ラッシュも一息ついた東京駅から旅立ちます。

Img_6912_3Img_6914_2 今回は四国ではなく、「サンライズ出雲」で山陰に向かいます。

「サンライズ瀬戸」には四国在住時に乗ったことがありますが、「サンライズ出雲」は初めてです。

Img_6922 B個室寝台シングルは、乗車率50%ちょっとといったところでしょうか。
寝台列車が次々と廃止される中、貴重な存在です。そういえば、東京駅から発車する定期夜行列車はこれだけになってしまいました。

Img_6919 先ほど横浜駅を過ぎました。では皆さん、おやすみなさい。明日は山陰をレポートします。

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2012年4月22日 (日)

【東京】東京十社巡り③ 根津神社・白山神社

今にも降り出しそうな空模様の中、東京十社巡りの第三弾を敢行しました。

大手町駅から地下鉄千代田線で根津駅へ。不忍通りを少し歩いた所に、根津神社入口の表示があり、そこを左折してしばらく行くと、鳥居が見えてきます。

Img_68781 現在、つつじ祭りの真っ最中ですが、今年は気温が低いせいか、開花状況は今一つのようです。

Img_68811 根津神社は、1900余前、日本武尊が千駄木に創祀したと伝えられる古社で、徳川五代将軍綱吉によってこの地に遷座し、1708年、権現造りの本殿、拝殿などが完成しました。

Img_68831 Img_68881 綱吉の時代に築かれたこれらの建造物は、関東大震災にも太平洋戦争にも耐え抜き、現在も堂々とした姿を見ることができます。

毎年9月21日には、例祭がおこなわれます。六代将軍家宣が奉納した大神輿三基は現存しており、天下祭と呼ばれ、江戸三大祭と呼ぶ人もいます。

※ 江戸三大祭は、山王祭、神田祭の二つは定説ですが、後の一つは、三社祭、深川祭、この天下祭と諸説あり、定着していないようです。

根津神社の北口を出て、西の方へと歩きます。このあたりは、千代田線、南北線、都営三田線と南北に伸びる路線が並行していますが、東西に走る路線はなく、一度引き返して電車に乗るよりは、歩いた方が早いのです。

本郷通りを越え、旧白山通りから少し入った所に、白山神社はあります。

Img_6899 境内に入ってびっくり!誰もいません。

Img_6901 静まり返った拝殿の前にいると、ポツリポツリと参拝に来られる人の姿がある程度。ここはあじさいの名所であるそうで、あじさいが咲く6月には、もっと多くの人が訪れるのかもしれませんが、あまりにさびしい。ここは、御朱印も書き置きしたものに日付のみ入れるという形式です。

この白山神社、もとは984年、加賀一宮白山神社として現在の本郷元町に創祀され、足利尊氏により国家平安祈願所とされます。
江戸時代、四代将軍家綱により現在地に遷座しますが、二度にわたる火災により、什器祭具等を焼失します。

その後長きにわたり本殿のみでありましたが、明治32年に拝殿が建設され、昭和9年に改修ののち、正遷座大祭が施行され、現在に至ります。

地下鉄白山駅からさほど遠くなく、立地は悪くないので、もっと多くの方に参拝していただきたいものです。

なお、「白山」の地名は、この白山神社の所在地であったことから、また小石川の地名も、加賀国石川郡よりこの神社が奉勧されたことによるそうです。

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2012年4月14日 (土)

【東京】東京十社巡り② 神田明神

今年はなぜか週末になると天候が崩れることが多く、今回の画像は以前に撮影したものを使用します。

東京十社巡りの2回目は神田明神。実は3月31日から4月5日まで、神田明神春まつりが開催されましたが、混雑するまつり期間は避けて参拝してきました。

なお、ここで開催される神田祭は、日枝神社の山王祭、富岡八幡宮の深川祭とともに、江戸三大祭とされています。(深川祭の代わりに浅草神社の三社祭とする説もある)
神田祭は、2年に1回開催され、昨年が開催される年でしたが、東日本大震災の影響で中止となりました。

Img_6623 神田明神は、御茶ノ水と秋葉原の中間あたりにあり、御茶ノ水駅からだと、前回紹介した聖橋を渡って湯島聖堂の交差点を折れ、少し下った所にあります。秋葉原からだと、あの無差別殺傷事件が起こったソフマップのある神田明神下の交差点から、神田明神通りを上ることになります。事件を起こした加藤某は、神田明神方面から車でやってきて、秋葉原の歩行者天国に突っ込みました。

正式名称は「神田神社」といい、地図等ではこちらで表記されることがありますが、一般には「神田明神」として親しまれています。

Img_6625祀られているのは、一ノ宮・大己貴命、二ノ宮・少彦貴命、三ノ宮・平将門命です。 この神社が創建されたのは730年で、当初は、、「将門の首塚」と呼ばれる将門塚(しょうもんづか)の近く、現在の大手町付近にあったそうです。
当時、将門塚の近辺で天変地異が頻発し、人々がこれを将門公の神威として恐れたため、真教上人がこれを鎮めるために奉祀して以降、戦国時代の武将などに崇敬されます。

関ヶ原の合戦に臨む徳川家康に戦勝の祈祷を行い、勝利した日を神田祭の日とされ、その後、徳川将軍家より祭礼の命が出されます。

1616年、江戸城表鬼門守護にあたるこの地に遷座し、幕府だけでなく江戸庶民にも崇敬されます。

明治維新後、明治天皇が御臨幸され、准勅祭社に指定されます。

Img_6630 ただ、その際、平将門は、天皇家に対し反乱を起こしたという理由で、明治時代に祭神から外されてしまいます。祭神として復帰したのは、ずっと時代が下った1984年にのことです。

当時の社殿は関東大震災で焼失しますが、1934年、当時としては画期的な鉄筋鉄筋コンクリート、総朱漆塗の社殿が再建されました。
東京大空襲では、この社殿はわずかな損傷のみで戦災を免れています。

現在は、「江戸総鎮守」として、神田だけでなく、日本橋、秋葉原、丸ノ内、大手町など、伝統と創造を併せ持つ町々を見守り続ける鎮守とされています。

Img_6662 一ノ宮・大己貴命(おおなむちのみこと)。だいこく様。縁結びの神様。

Img_6638 二ノ宮・少彦名命(すくなひこなのみこと)。えびす様。商売繁盛の神様。

なお、三ノ宮・平将門命(たいらのまさかどのみこと)、まさがど様、除災厄除の神様は本殿に奉祀されています。

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2012年4月 8日 (日)

【レトロ】昭和の面影を残す聖橋からの風景

まず最初に、「檸檬」-これはなんと読むでしょう。

正解は、「れもん」です。

このブログの趣旨からすると、梶井基次郎の小説(ただしミステリーではない)を思い浮かべる人が多いかと思いますが(そんなの知らないか?)、ここで取り上げるのは、さだまさしの「檸檬」です。

さだまさしの歌も、梶井基次郎の小説をもとにして作られたようですが、小説の舞台が京都であるのに対し、歌の方は御茶ノ水が舞台です。

この曲に、次のような一節があります。

喰べかけの檸檬 聖橋から放る
快速電車の赤い色がそれとすれ違う

この聖橋(ひじりばし、これも難読)とは、JR御茶ノ水駅から湯島聖堂方面に向かう所にある橋で、歌い出しで湯島聖堂も登場します。

Img_6671 先ほどの歌詞に、この橋から檸檬を放ると電車とすれ違うと歌われています。

Img_6667 聖橋からの風景。下を流れるのは神田川。右手に見えるのがJR御茶ノ水駅です。この付近は道路が坂上にあり、JR御茶ノ水駅を見下ろす形になります。JR駅は、いわゆる橋上駅で、改札口はホームから上った所にあります。

写っているのは中央線快速電車。現在はステンレス車両に赤いラインのものに置き換えられましたが、歌にある、全面が赤い(というよりオレンジ色)塗装の車両がごく最近まで走っていました。

この「檸檬」が流行ったのは30年以上前のことで、私は大学入学のために上京した際、この歌にある風景を見たくてここに来たのを記憶しています。

もうひとつ、ここの風景で面白いのは、手前側を走る線路。これは何かというと、地下鉄丸ノ内線なのです。地下鉄も、神田川の下を通すのは難しかったのか、ここだけ地上に出ています。
ここは、写真撮影に絶好のスポットなのか、カメラを構える人が複数いました。

Img_6669 丸ノ内線の車両も、現在は赤いラインをまとっていますが、以前は全面赤い(こちらは正真正銘の赤)塗装の車両でした。歌の中の赤い電車は、こちらの方がふさわしいのでは、と当時思ったものです。

ところで、ここの風景、昭和の頃とあまり変わっていないように思えます。前方に見える秋葉原の街はかなり変貌を遂げたのですが、JR御茶ノ水駅は、快速と各駅停車の乗り換え駅にしてはホームも狭く、川沿いにあるため、事故が起こらないかいつも不安に感じます。

また、地下鉄丸ノ内線御茶ノ水駅は、この写真の左側にあり、JR御茶ノ水駅から乗り換えるには、この聖橋を渡らなければなりませんが、そういった部分も、一向に改善される気配はありません。ただし、地下鉄千代田線の新御茶ノ水駅は、JR御茶ノ水駅の近くに入口があります。

この地は、地形上、改善するのが困難なのでしょう。かつては学生の街として賑わった御茶ノ水(ガロ「学生街の喫茶店」もこの街がモデルとされる)ですが、大学の移転もあり、若者の街は隣りの秋葉原などに移り、時代から取り残されていくように見えますが、団塊の世代の方などは、あの時代を思い出させてくれる風景ではないでしょうか。

なお、このあたりに詳しい方には、この後、東京十社のひとつ、神田明神に行ったのだろう、とツッコミを入れられそうですが、それは今後のお楽しみに。

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2012年4月 7日 (土)

【東京】東京十社巡り① 富岡八幡宮 

4月に入って少しは温かくなったかと思いきや、また寒さがぶり返す日もあり、なんとも不安定な天気が続きます。温かくなったら、ブログネタを探しに出歩こうと考えていたのですが・・・。

というのは、更新を怠った言い訳で、実はネタはいくつか確保してあり、単に更新をサボっていただけなのです(汗)。これらを少しずつ紹介していくことにしますが、よって、画像はその日のものでないことがありますので、ご了承ください。

さて、最近、御朱印集めをする人が増えているそうで、タレントの中にも御朱印帳を公開する人も現れています。意外にも、若い女性にも神社・仏閣巡りをする人が増えているようです。

そこで、東京に数ある神社を参拝してみようと思いたったところ、「東京十社」というのが存在することを知り、これならすべて東京都内にあるから手始めに最適と考え、実行することにしました。

その第一弾が、江東区にある「富岡八幡宮」です。

Img_6716 地下鉄東西線・都営大江戸線の門前仲町駅から近く、近辺は下町と呼ぶにふさわしい雰囲気が漂います。

この富岡八幡宮は、江戸時代初期、菅原道真公の末裔と称する長盛法印が、深川の小島であった永代島の周辺を埋め立て居住地とした後、1627年に創祀されました。なんと、当時はまだ現在の隅田川はなく、日本橋・京橋と陸続きだったそうです。

後に隅田川の出現によって、日本橋・京橋とは分断されましたが、江戸庶民の参拝の対象となり、この地は中心地から離れた静かな土地として、大名の下屋敷や豪商の別邸が建設されるようになります。
そして、ここに門前町が発生し、東京でも比較的純朴な下町が形成されていきます。現在も町名になっている「門前仲町」は、この富岡八幡宮の門前にあることから命名されたものです。

1855年の安政大地震では、深川地区は多大な被害がありましたが、火災は富岡八幡宮の門前で止まったようです。ただ、拝殿や絵馬堂が破損するなど被害もあったようです。

江戸時代には、徳川将軍家、皇族の参拝も頻繁にあったようで、明治に入り、明治天皇により、准勅祭社に定められますが、直後に東京府の帰属となり、准勅祭社の制度は一時的なものとなります。

後年、1975年に、昭和天皇即位50年に際し、准勅祭社であった10社を「東京十社」と定め、現在に至ります。

Img_6699 拝殿の様子。「富岡」とはこのあたりの地名にもなっていますが、「深川八幡」あるいは地元では単に「八幡さま」と呼ばれ親しまれています。

ここのもう一つの見どころは、「横綱力士碑」です。

Img_6707 なぜここに力士碑があるのかというと、江戸時代には、京、大坂に始まる勧進相撲が盛んに行われていましたが、興行のトラブルから禁令が出されました。この禁令が解かれた1684年、寺社奉行の許可により、ここで勧進相撲が開催されることになりました。いわば、ここは、江戸勧進相撲発祥の地という訳です。(異説もあるようです)

この碑は、1900年、第12代横綱・陣幕が発起人となって建立され、伊藤博文、山県有朋、大隈重信などそうそうたる名士が協賛者に名を連ねています。

Img_67041 ここには、初代から現在に至るまでの横綱が刻名されています。近年は、日本相撲協会の協力により、若乃花(三代目)から、横綱誕生の際、刻名式を行い、境内で土俵入りを奉納されるようになりました。

また、ここには、「大関力士の碑」というのもあります。

相撲と聞くと、両国を連想しそうですが、江戸の相撲の歴史がここで始まったというの意外ですね。

参考:「富岡八幡宮御由緒」・山本博文「東京今昔 江戸散歩」中経出版

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