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2011年10月 5日 (水)

【レトロ】落合博満を語る

プロ野球も大詰めを迎えています。パリーグはすでにソフトバンクの優勝が決まり、CS進出争いもほぼ決着がついた感があります。それに対し、セリーグは、安泰と思われたヤクルトが中日の追い上げに遭い、明日にも首位が入れ替わりかねない状況です。

そんな中、2人の監督が、シーズン終了を待たずに勇退を発表しました。中日の落合監督と日本ハムの梨田監督ですが、CS進出確定的、優勝もまだ狙える段階での発表に、「なぜ?」という疑問の声が上がりました。
ところが、監督勇退の発表後、日本ハムは成績が急降下し、2位も危ない状況に追い込まれたのに対し、中日は快進撃を続け、ついに首位に並ぶところまできました。

ここでは、その落合監督について、勝手に語ってみたいと思います。

落合博満は、秋田工業、東洋大学と野球部に所属していましたが、体育会系の雰囲気になじめず、東洋大学を中退しています。当時の野球部は、体育会系独特の思想が支配していたようで、落合の代名詞である「オレ流」が通用する世界ではなかったようです。

その後のスポーツ界は、イチローや中田英寿のような自己を貫く選手が評価される時代になりましたが、落合は出現が早すぎたのかも知れません。

東洋大学を中退した落合は、東芝府中に所属し、1978年のドラフトでロッテの3位指名を受け入団しますが、この年のドラフトは、「江川事件」で揺れ、巨人がドラフトをボイコットしました。巨人は、ボイコットしなければ、落合を指名する予定であったという話があり、後年実現した「巨人の落合」は、入団時に実現した可能性もあった訳です。

アマ時代は、全日本代表に選ばれたものの、さして注目された選手ではなかったため、地味な存在でしたが、以前、このブログに書いたように、イースタンの試合で、江川の球を打ち、凡フライと思った江川がマウンドを降りかけていると、打球はフェンスを越えた、ということもあり、非凡な打撃センスは見せていました。

落合の打法は、「神主打法」と呼ばれていましたが、これは落合がロッテ時代に自身で完成させたもので、これを酷評した金田正一と敵対し、後年、名球会入りを拒否しています。
金田ほどの大物に対しても、自己を貫くというのは、「オレ流」たるゆえんでしょう。

1981年、首位打者を獲得、1982年には三冠王に輝きますが、この時代で記憶に残っているのは、年俸へのこだわりです。当時、「野球選手の年俸は安い」と主張する江川とともに、後の選手の権利主張、年俸アップにつながったと言っていいでしょう。

そして、1986、87年と2年連続で三冠王を獲得しますが、この年のオフは落合のトレード話で持ち切りでした。マスコミでさかんに報道されたのが巨人入りでしたが、中日へのトレードが伝えられた時は驚きでした。
この落合の中日入りは、自分的に「昭和のプロ野球三大衝撃」としています。ちなみにあとの二つは、江川の空白の一日とKKドラフトでの巨人の桑田指名です。

落合はトレードされた中日との契約で、年俸1億円を達成します。これが日本プロ野球の年俸1億円第一号です(同年、西武の東尾も達成)。三冠王を3度取って、やっと1億に達したのですから、「野球選手の年俸は安い」という主張は、今にして思えば納得できる気がします。ただ、その主張をした江川は達することなく引退しています。

長くなるので、その後、巨人、日本ハムと移籍した現役時代は省略し、話はいきなり中日監督時代に飛びます。
7年間すべてAクラス、3度のリーグ優勝、1度の日本一。今季もAクラスは確定で、優勝の可能性もあるのですから、監督としての実績は申し分ありません。それでいて、なぜ勇退なのか?という疑問が付きまといます。

落合監督を語るには、欠かすことができないのが、2007年の日本シリーズ第5戦の、完全試合目前の山井投手の交代でしょう。
これについては、賛否両論あることを承知の上で、自分の意見を述べます。

この試合、私はテレビ観戦していましたが、解説者(誰か忘れました、スミマセン)も驚き、「日本シリーズの完全試合、見たかった」と言っていました。当日のニュースで、星野元監督や野村監督(当時)も否定的なコメントをしていたので、「やっぱりそうだよな」と思い納得していました。

ところが、その後、当時の現役監督である王監督、岡田監督だけでなく監督経験があるOBまでもが采配に賛成意見を述べ、その年の正力松太郎賞にも選出されていました。

私は、これらを見て、こんな事だからプロ野球人気が低迷するのだと思いました。賛成意見の主たるものは、「勝負に私情を挟まない」「レギュラーシーズンと違い、ポストシーズンは記録は関係ない」といったものでした。
中日は、この年まで、楽天を除く11球団でもっとも日本一から遠ざかっており、絶対に勝たねばならない使命があったことは理解できます。落合監督にしてみれば、山井個人の記録よりチームの53年ぶりの優勝を優先し、それを評価する声が多いのは、一見すると正当な意見のように見えます。

私がこれらの意見に断固反対する理由は、そこにはファンの存在、興行という視点が欠けているからです。ポストシーズンとはいえ、プロ野球は基本的に興行であり、ファンの存在なしには成り立たないものです。この采配に賛成意見を述べた人々は、野球さえやっていればファンが見てくれたよき時代の発想から抜け出せていないのだと思います。

リアルタイムで見ていた者にとっては、某解説者が思わず言ったように、「日本シリーズの完全試合が見たかった」のであり、もしそれが実現されれば、後世まで語り継ぐでしょう。
王監督の言うとおり「記録は関係ない」のかも知れませんが、人々の「記憶」には大いに影響するのです。
この采配によって、「日本シリーズ優勝決定試合での完全試合」が単なる「中日の53年ぶりの日本一」に矮小化されてしまい、もうすでに記憶から消えつつあります。もっとも、落合監督の非情な采配として語り継がれるのは、本人にとっては満足かも知れませんが。

落合監督勇退の理由には、その一つとしてファン離れが挙げられていますが、これは監督だけの責任ではないでしょう。ただ、マスコミに対する態度や、応援してくれる地元財界への気配りのなさは、事実であれば問題でしょう。

私は、WBCの監督問題があった際、もっともふさわしいのは落合だと思っていました。すなわち、勝つことだけが評価される試合では、知将と言われるこの人の力量が生かされます。
しかしながら、興行の側面を持つプロ野球の監督は、結果を残すだけでなく、見る者に伝えるスポークスマンの役割も果たさなければなりません。こうした視点に欠けていたことが、今回の勇退につながったのでは、と想像しています。

過去に、広岡達郎、野村克也という、必ずしも万人受けしない名将がいましたが、広岡元監督は、マスコミに厳しいことを言うことによって、自分の方針をファンに伝えていたと取ることもできます。野村元監督は、南海時代はともかく、晩年はボヤキが有名でしたが、これこそ明らかにファンサービスとしてやっていたことは明白です。

落合監督には、ノムさんのように、歳を取るごとに角が取れ、ファンサービスもできる知将として球界に戻ってくることを期待します。

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コメント

落合勇退報道後も中日は勝ち続け、ついに昨日の試合でヤクルトと並びました。やはり選手は監督交代を喜んでいるのか!?


落合監督の手腕は評価しても、人間性が…という人は多いようで、例えば私の行きつけの床屋のご主人がそうです。選手時代からの個性的な言動は、批判を買う事が多いですね。私は割と落合さんを勝っている方(八年の成績を見れば文句無しです)なんですが、八年もやり、ここらあたりで人心一新というのも納得出来ます。ただ何故後任が高木守道という年寄りなんでしょう。立浪への繋ぎなら納得しますが…

投稿: 稲口町 | 2011年10月 6日 (木) 07時19分

ここに来ての中日の追い上げは、アライバが戻ってきたなど、戦力が整ってきたのが理由でしょう。
落合監督は、戦術という点では現役1、2でしょうが、プロ野球監督というのは、勝つことだけを求められているのではないというのが、私の見解です。

投稿: 隅田川散歩 | 2011年10月 8日 (土) 23時38分

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