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2011年10月16日 (日)

【レトロ】優勝決定試合で行われた醜い首位打者争い

またまた野球ネタです。

両リーグの情勢もあらかた決まって、興味はポストシーズンに移りますが、この時期、もう一つの興味は、個人タイトル争いです。

かつては、優勝決定後の消化試合で、醜いタイトル争いが繰り広げられ、「ファン無視」の批判を受けたことがありましたが、クライマックスシリーズの導入後は、完全な消化試合というものが減った関係からか、こうしたタイトル争いが見られなくなりました。
CSに関しては、賛否両論がありますが、こういった効果もあるということでしょう。今年にしても、もしCSがなかったら、10月初旬には、中日とヤクルト以外は実質的に消化試合であった訳ですから。

プロ野球人気の低迷から、ニュース番組での日本プロ野球の報道時間が短くなっています。かつてフジテレビでは、「プロ野球ニュース」という番組が地上波で放送されていました。
この番組は、プロ野球をもっとも詳細に報道する番組でありました。地上波からは姿を消してしまいましたが、現在もCS放送「フジテレビTWO」で毎日放送されています。
現在、プロ野球の結果報道では、この番組とJ SPORTS 1の「野球好きニュース」が双璧となっています。

先日、このプロ野球ニュースに関根潤三氏と田尾安志氏が出演していましたが、話が個人タイトル争いに及んだ時、私は、その昔、この2人が関係した醜いタイトル争いのことを思い出しました。

1982年のセ・リーグは、中日と巨人の激しい優勝争いとなり、全日程を終了した巨人と3試合を残した中日がゲーム差なしで並び、10月16日からの大洋(現横浜)との3連戦で中日が負け越さなければ優勝、という状況でした。

一方、首位打者争いは、大洋の長崎啓二(本名は慶一)と中日の田尾安志の争いとなり、3連戦を前にして、長崎が1分2厘差を付けてトップ。大洋は5位が確定しており、長崎は打率維持のために3連戦は欠場していました。
ほぼ逆転は不可能と思われていましたが、田尾は初戦に2安打、第2戦に4安打して、長崎に1厘差まで迫ります。ちなみに、第2戦では、大洋バッテリーは田尾を敬遠していません。これは、斎藤明夫投手(ちなみにこの斎藤も現在「プロ野球ニュース」に出演している)の最優秀防御率のタイトルがかかっていたためと思われます。もっとも、田尾の打率を計算して勝負していたとは思いますが。

1勝1敗で迎えた10月18日の最終戦。この試合で中日が勝つか引き分けで優勝。この日は月曜日でしたが、優勝決定試合ということで、フジテレビが急遽実況中継をすることになります。

全国の野球ファンが注目する中、先頭打者の田尾がバッターボックスに入ると、大洋バッテリーはいきなり敬遠します。これは、バッテリーの判断である訳がなく、ベンチの関根潤三監督の指示であることは疑いありません。
1番バッターをすべて出塁させるという作戦は、負けを覚悟しているというに等しく、これを「敗退行為」だとして非難する声が上がったのも頷けます。私が巨人ファンであったなら、同様に批判していたでしょう。

試合は8-0と中日の大量リードで9回表、田尾に5打席目が回ります。当然のようにキャッチャーが立ち上がっての敬遠。ところが、3ボールからの4、5球目、田尾は敬遠球を故意に空振りします。大洋ベンチを何度も見やりながらの行為で、5打席連続敬遠への抗議の意味であったことは明らかです。
あわてて中日コーチが田尾に駆け寄り、田尾は6球目を見逃がし、一塁に歩きます。皮肉なことに、この出塁によって、田尾は掛布雅之(阪神)と並び、最多出塁数(当時は出塁率ではなく出塁数だった)のタイトルを獲得します。

直後に中日はリーグ優勝を達成しますが、数多くあった醜いタイトル争いの中で、このケースが悪質なのは、消化試合でなく、優勝決定試合で行われたという点にあります。
行為そのものの悪質性なら、1998年の小坂(ロッテ)と松井(西武)の盗塁王争いでの、西武投手の故意の牽制悪送球、故意のボークがワースト1でしょう。

関根監督は、この選択をしたことに関し、多くを語りませんでした。しかしながら、この一件にによって、勝負師としては失格であったことを証明してしまった訳で、その後、ヤクルトの監督も務めましたが、万年Bクラス監督というレッテルを貼られてしまいます。
極端に私情をはさまない采配をした落合監督に対し、明確に批判するコメントをしなかったのも納得できることです。

その後、田尾は西武に、長崎は阪神にトレードされ、両者は1985年の日本シリーズで対戦します。ここで長崎は満塁ホームランを放つなど、阪神を初の日本一に導き、日本シリーズMVPを獲得します。
1987年には、田尾が阪神にトレードされ、両者はチームメイトになりますが、長崎は同年に現役引退します。田尾は、期待されながら、中日時代の輝きを取り戻すことはできず、ついに首位打者のタイトルを獲得することはできませんでした。

田尾は、徒党を組むことを嫌う一匹狼的な選手であったと言われ、それがトレードにつながり、実力を発揮できずに終わったとする意見もあります。楽天の初年度監督を務めながら、1年で解任されるなど、損な役回りをさせられているようなイメージはぬぐえません。

結局、この1982年の首位打者争いは、かかわった人々に暗い影を落としたと見るのはうがちすぎでしょうか。現在は、何事もなかったかのように共演している関根氏と田尾氏ですが、先日の放送では、個人タイトルの話の際、一瞬口ごもったように見えたのは、この時のことを思い出したのでは、と疑ってしまいました。

ところで、この1982年には、青木、畠山(ヤクルト)、栗原(広島)、内海(巨人)、中島(西武)、内川(ソフトバンク)など、今年タイトルを争った選手たちが生まれています。いやはや、月日の経つのは早い。

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コメント

私の記憶に触れるネタ出し有難うございます(^O^)
プロ野球ニュース…20年程前よく見てました。今みたいにネットで途中経過をチェックと言う時代でなかったし。
田尾が敬遠され悔しがってわざと空振りするシーン、プロ野球の名シーンの一つとして、よく放送されますよね。
当時の中日はめったに優勝する事はなく、名古屋の街は大いに湧いたと記憶しています。当時中学生でしたが、授業を特別に中止して、日本シリーズをテレビで見たという事もありました。
審判石ころ事件もあったなあ。
あの時流れが変わらなければ、この年に二回目の日本一なっていたかも。
あれから30年近く経つのか…

投稿: 稲口町 | 2011年10月17日 (月) 12時57分

このネタなら稲口町さんが反応してくれると思ってました(笑)。
当時、この田尾と高橋慶彦は2000本安打を達成すると思ってましたが、2人ともトレードを境に精彩を欠き、結局達成できませんでした。
一方、意外にも?大島康徳と駒田は移籍先で達成しており、必ずしもトレードがマイナスではないということでしょう。

先ほど、中日が連覇を達成しました。おめでとうございます。

投稿: 隅田川散歩 | 2011年10月18日 (火) 22時15分

因みに駒田の2000本安打達成を名古屋ドームで見ました。2000年だと思います。
大島は手抜きプレーが印象的でしたね。

投稿: 稲口町 | 2011年10月19日 (水) 05時37分

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