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2011年6月

2011年6月28日 (火)

【東京】隅田川を歩く③ 総武線隅田川橋梁~両国橋

蔵前橋のすぐ下流に、「何だろう?」と思う橋らしきものが架かっています。

Img_6044 これは、「蔵前専用橋」と呼ばれる橋で、NTT東日本蔵前通信ビルから伸びており、通信線専用橋ですが、水道も兼ねているようです。もちろん、人も車も渡ることはできません。

ここから下流に向かう場合、西側は隅田川テラスが途中で途切れ、一般道を歩かなければなりません。東側を通って下っていくと、鉄道橋が見えてきます。

Img_6052 JR総武線の隅田川橋梁です。上流から見て、右手が浅草橋駅、左手が両国駅になります。総武線は、1904年(明治37年)、本所駅(現在の錦糸町駅)~両国橋駅(現在の両国駅)間が開通し、両国橋駅がターミナルとなります。秋葉原駅まで延伸する計画は以前からあったものの、この鉄橋が架けられ、御茶ノ水駅まで延伸が実現したのは、1932年(昭和7年)のことで、これも関東大震災からの復興事業の一環でした。

新宿方面への直通運転が行われるようになりましたが、優等列車は両国駅を始発とすることが多く、ターミナルとしての地位を保っていました。しかし、1972年(昭和47年)、錦糸町駅から東京駅へ地下線(総武快速線)が完成し、両国駅は素通りされることになってしまいます。
両国駅には、ターミナルだった時代を彷彿させるホームが残っていますが、現在は、錦糸町~御茶ノ水間は、一部の特急やライナー以外は、各駅停車のみ運行されています。

さて、ここから下流へと向かうと、両国橋に行きつくのですが、西側の、隅田川テラスが途切れている所から、一般道を歩いてみます。隅田川テラスが途切れている理由は、神田川の河口があるためです。

Img_6009 神田川と隅田川の合流地点です。ここには、神田川に架かる柳橋があります。

Img_6000 Img_6007 この橋は、1698年に架けられた歴史ある橋で、江戸時代は船宿が建ち並び、明治以降も花街として賑わったそうです。
現在の柳橋は、二車線道路が通るだけの小さな橋ですが、このあたりは、台東区柳橋という地名が残っており、昔の隆盛をしのばせます。
案内板にある通り、かつてはこのあたりまで浅草と呼ばれていたようです。

Img_6004 柳橋から神田川の上流を見ると、浅草橋があります。現在では、浅草橋は浅草の中心からは遠いイメージですが、かつては浅草寺の門前橋でありました。

神田川というと、40代以上の方は、かぐや姫の歌を思い浮かべると思います。井の頭公園を源とし、ここを終着地としますが、歌に出てくるのは早稲田付近のようです。

この神田川を境に、中央区に入ります。

Img_6061 Img_6066 この重厚な雰囲気を醸し出すのが両国橋です。ゲルバー橋と呼ばれる橋脚のみで橋を支える方式で、橋の上部には支えるものがありません。現在、補修中のようで、その表示があります。

両国橋は、靖国通りにある橋で、西側が中央区東日本橋二丁目、東側が墨田区両国一丁目になります。この橋は、隅田川に架かる橋としては千住大橋に次いで2番目に古く、1600年代中期(諸説あり)には存在したそうです。
当時、隅田川は大川と呼ばれ、この橋も単に大橋と呼ばれていましたが、武蔵国と下総国を結ぶ橋として、両国橋と呼ばれるようになりました。
橋は何度か架け替えられ、旧橋は関東大震災でも損傷を受けなかったのですが、他の橋と同様、震災後に架け替えられ、現在に至っています。

現在では、「両国」の地名は、墨田区のものとして定着していますが、以前は、中央区(当時は日本橋区)側も「日本橋両国」と呼ばれ、墨田区(当時は本所区)側は「本所東両国」と呼ばれていました。現在の両国駅が「両国橋駅」を名乗っていたのも、東京市電の「両国○○」という電停が日本橋両国にあったためのようです。
その後、両国国技館(先代)などにより、両国の地名が墨田区のものとして定着し、中央区側は、1971年(昭和46年)、住居表示を「東日本橋」と改めました。

両国が相撲のメッカであることを示すように、両国橋やその近辺には、相撲を描いた飾りなどが多く見られます。

さて、八百長問題に翻弄された大相撲。9月にはこの地で本場所が開催され、賑わいを見せるのでしょうか。

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2011年6月25日 (土)

【東京】隅田川を歩く② 厩橋~蔵前橋

前回に続いて、駒形橋から下流へと歩きます。

なお、梅雨時ということもあり、このところ週末ごとに悪天候が続いているため、以前に撮影した画像を使用することがあります。突然、天候が著しく変わったり、急に暗くなったりすることがありますが、ご了承ください。

Img_5920 このあたりは、屋形船が多く停泊しています。これからがシーズンですね。

また、このあたりは、隅田川花火大会の第二会場となっており、この付近から花火が打ち上げられます。なお、今年の隅田川花火大会は、電力事情を考慮して、8月27日に開催されることになりました。

Img_5929 緑色の塗装が特徴的な厩(うまや)橋が見えてきました。

Img_5930 厩橋は、春日通りにある橋で、西側は台東区蔵前二丁目、東側は墨田区本所一丁目になります。

江戸の頃には、「御厩の渡し」があったそうで、この橋が架けられたのは明治に入ってからです。現在の橋は、関東大震災からの復興事業の一環として、昭和4年に完成したものです。

Img_6017 こちらは下流から見た全景。
この厩橋の下には、都営大江戸線が通っていますが、線路は橋の真下を避けて上下に分かれて引かれており、それは地図にもはっきり描かれています。
橋の真下を避けるのは、有事の際に、橋が攻撃目標にされやすいとの理由のようですが、都営大江戸線は、地中深くを通っており、仮に橋が攻撃を受けたとしても影響があるとは思えません。真相は不明のようですが、大江戸線のトンネルは戦前に掘られたとする珍説もあります。(秋庭俊「大東京の地下鉄道99の謎」より)

隅田川テラスの西側は、この厩橋で一旦途切れており、東側に渡って下流へと向かいます。

西側は、上に首都高速が通っており、東京のあちこちで言われている通り、景観を損ねること著しいのですが、川の真上を通ってないだけマシかも知れません。また、雨が降ってきた時には、格好の雨避けになります。

Img_6019 オレンジ色に塗られた蔵前橋が見えてきます。船からわかりやすいように各橋の色を違えているのでしょうか。

橋を渡って西側に移動します。

Img_6035 Img_6036 蔵前橋は、西側が台東区蔵前一丁目、東側は墨田区横網一丁目を結ぶ橋で、この道路も蔵前橋通りと呼ばれています。
それにしても、他の橋に比べ、橋名標が小さい。これがこの橋の存在価値を物語っているのでしょうか。
かつてこの場所には、「富士見の渡し」というのがあったそうで、関東大震災の復興事業として架橋されたのは、他の橋と同様です。

なお、余談ですが、この橋の東側の地名は「横網(よこあみ)」ですが、相撲からの連想で、「横綱」と誤記されることが非常に多いとのこと。注意が必要です。

Img_6027 橋のすぐ傍には、「浅草御蔵跡碑」があります。江戸時代に、年貢米などを収納、保存した場所で、大坂、京都二条と共に三御蔵と呼ばれたそうです。
「蔵前」の地名はここからきていますが、この地名が生まれたのは昭和9年のことです。

Img_6032 浅草御蔵跡碑のむこうにあるのが、東京都下水道局です。この標語はぜひ実践してほしいものですが、そのためにこの場所を紹介する訳ではありません。

Img_6034 実はこの場所は、昭和59年まで蔵前国技館があった場所で、大相撲のみならず、プロレスやボクシング、さらにアイドルのコンサートなども開催され、蔵前の顔でした。下水道局の敷地内には、それをしのばせる建造物があります。

さて、今日はここまでにして、地下鉄で帰ることにしますが、ここは、以前に紹介した、奇妙な地下鉄駅・蔵前駅がある場所です。

この蔵前橋に近いのが都営浅草線の蔵前駅で、厩橋に近いのが都営大江戸線の蔵前駅です。みなさん、くれぐれも間違えないように。

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2011年6月19日 (日)

【駅弁】東京駅・東日本うまいもん駅弁大会

6月18、19日の両日、東京駅・駅弁屋にて、「東日本うまいもん駅弁大会」が開催されました。(タイトルは「旨囲門」に掛けているのでしょうか。どうでもいいですが・・・)

Img_59761 通常、駅弁大会は、暑くなるこの時期には開催されないのですが、「日本を元気に」の文字があるとおり、震災復興を願ってのものであることは間違いありません。

当然、東北の駅弁を選択しますが、八戸、仙台、郡山などの駅弁は、ここでいつでも買えるので、それ以外から選ぶことにします。

Img_5966 新青森駅「津軽弁当 文豪」。大和家の調製です。
大和家は、弘前駅で、りんごごはんなどの駅弁を販売していますが、この駅弁は、新青森駅でのみ売られているそうです。

Img_5969 大和家は、駅弁参入は比較的新しい業者ですが、箸袋には「創業大正十二年」とあるとおり、津軽郷土料理の老舗です。

タイトルにある通り、津軽の三大文豪の好物を用いた駅弁です。太宰治の好物は鯛であったらしく、ご飯は鯛めしときのこの炊き込み。
酒豪の葛西善蔵の好物だった昆布、石坂洋次郎の好物だった身欠きにしんの他に、筋子、イカメンチ、赤カブなどが詰められています。とりわけ煮物の出来は素晴らしく、老舗らしさが感じられます。

このように、品数豊富で、郷土色豊かな弁当こそ、駅弁と呼ぶにふさわしいと思います。

もう一品、新青森駅「十和田牛しぐれ煮弁当」を購入。

Img_5981 Img_5983 調製元の「幸福の寿司本舗」は、以前から青森駅で「焼鯖寿司」などを販売していたようですが、寿司ではなく、牛肉を用いた駅弁に挑戦した作品です。

十和田牛は、他の和牛と違い、霜降りではなく赤肉が主体で、脂身がほとんどない肉が使用されています。以前に紹介した、岩手のいわいずみ短角牛と同様、短角種であるそうです。

和牛というのは、全国各地に特徴ある品種があり、駅弁にふさわしい食材だと思います。この十和田牛のように、知名度は低くとも品質のいい和牛は全国にまだまだありそうで、ぜひとも駅弁に仕立ててほしいものです。

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2011年6月 9日 (木)

【駅弁】大分・佐伯の町おこし「雪ん子寿し」

上ちゃんの「駅弁の小窓」から情報をいただき、伊勢丹新宿店で開催されている、「第2回チアアップ!ニッポンの“食”展」に行ってきました。

会場には、野菜・果物から寿司や弁当、お菓子まで、全国から名産品が一同に会していますが、お目当てはこれです。

Img_5943 一見すると、和菓子の様にも見えますが、ラベルにあるとおり、「雪ん子寿し」という寿司です。

ネーミングから、北国の商品と勘違いしそうですが、調製元は、大分県佐伯市の「夢の里工房」です。地元産の食材を用いて、町おこしの一環として開発された商品のようです。
きのこ料理コンクール全国大会最優秀賞、の記載もあります。

Img_5947 上部を覆っているのは大根です。釧路に「いわしのほっかぶり寿司」というのがあり、同様に大根が使われていますが、意外と酢飯と大根は相性がいいようです。

Img_5949 大根の下、酢飯の上に乗っているのは、地元名産の椎茸です。椎茸は、ちらしずしや太巻きなどにも使われ、酢飯と非常に合うのですが、大根で包むことによって、椎茸が主張しすぎず、程よい味わいになっています。

酢飯の下には大葉が敷いてあり、しっかりとした味が付いており、醤油を付ける必要はありません。

この「雪ん子寿し」、日豊本線佐伯駅で売られており、売り場の方も、駅弁として売り出したいとおっしゃっていました。
かの大食いタレントが絶賛したらしく、その時の写真が売り場に貼ってありました。

念願の東京進出だったところ、「駅弁の小窓」に情報が載ったことで、私以外にも買われた方がいたようで、「駅弁の小窓」の情報発信力に驚嘆していました。

私も、駅弁愛好家の一人として、適当なパッケージに入れ、掛け紙を掛ければ、さらに駅弁らしくなるのでは、とアドバイスしました。

この商品名は、すでに商標登録されているようで、内容も個性的で質も高く、名物駅弁になりうる逸品であると思います。

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2011年6月 7日 (火)

【東京】隅田川を歩く① 吾妻橋~駒形橋

“春のうららの隅田川”滝廉太郎の名曲の季節は過ぎ、汗ばむ季節になってしまいましたが、「隅田川散歩」を名乗っていることからも、新シリーズとして、隅田川を歩いて、その風景を紹介したいと思います。

浅草に近い吾妻橋から下流に向かって歩いていきます。なお、画像は撮りだめしたものを使う場合がありますが、ご了承ください。

Img_5895_2吾妻橋は、雷門通りにある橋で、台東区と墨田区の境界に架かる橋です。「吾妻橋」という地名もあり、これは墨田区側にあり、都営浅草線には「本所吾妻橋」という駅もあります。

Img_59071 これは吾妻橋の台東区側にある、地下鉄浅草駅の出入り口。ここから出れば吾妻橋は目の前です。

Img_5901 ここは、隅田川を走る水上バスの拠点ともなっています。その向こうには、桜の名所として名高い隅田川公園があり、上流には東武伊勢崎線の鉄橋があります。

Img_5903 ここからも東京スカイツリーはよく見えます。そのためか、橋の上でカメラを構える人も多く見かけます。
中央に見えるのはアサヒビール本部。右はスーパードライホールで、ビールの泡を模した模型が乗っています。左にあるのは墨田区役所です。

こうして見ると、下町でありながら、どこか異国の地の風景のようです。

Img_5906 橋を渡る人力車の姿も。

ここから下流の駒形橋へは、隅田川テラスはなく、隅田川に沿った一般道を歩くことになります。

Img_5916 駒形橋までやって来ました。浅草通りにある橋で、やはり台東区と墨田区をつないでいます。台東区側は駒形、墨田区側は東駒形という地名になっています。
この橋は、関東大震災後の復興事業の一環として建設され、それ以前は「駒形の渡し」があったそうです。

ここからも東京スカイツリーを見ることができます。

Img_5913 Img_5911 この橋および地名の由来となった駒形堂。浅草観音様があらせられるとされるこの堂は、朱雀天皇時代の942年に建立され、葛飾北斎や安藤広重の絵にも描かれています。もともとの堂は、関東大震災で焼失し、現在の堂は再建されたものです。

案内板によると、「駒形堂」の名称由来は2説あって、

① 隅田川を舟で通りながらこの堂を見ると、まるで白駒が馳けているようなので「駒馳け」の転訛

② 観音様に寄進する絵馬を掛けたので「駒掛け堂」と呼ばれ、それが訛る

ということです。

この駒形橋から厩橋までは、隅田川テラスを歩くことができます。その風景は次回のお楽しみに。

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2011年6月 5日 (日)

【駅弁】「駅弁屋旨囲門」に東北駅弁が復活

東日本大震災によって東北新幹線が不通となり、東京駅「駅弁屋旨囲門」から東北地方の駅弁が姿を消していましたが、東北新幹線の全線復旧により、東北駅弁が戻って来ました。

実は、先週の土日、東京駅で「東北応援駅弁大会」が開催されたのですが、私は、このことを知らず、日曜日の夕方に東京駅へ行ったところ、東北の駅弁はすべて売り切れ(涙)。

気を取り直して、「駅弁屋旨囲門」で東北駅弁を物色。

Img_5874 もちろん、この超有名駅弁も売られています。「花の慶次」のパッケージですが、中身は従来と同じ。私は何度も食べているので、貧乏人のT君に進呈することに。

一ノ関駅・あべちうの「岩手産 いわいとりめし」を購入。Img_5870 Img_5873 一ノ関駅には、駅弁屋が2軒あり、このあべちうは、うに、いくら、あわびなど三陸の海産物を使った駅弁が得意で、もう一軒の斎藤松月堂は、前沢牛を使った駅弁を得意としています。
そこへ、岩手産のとりめしとは意表を突かれました。

鶏ももの照焼きは弾力があって、パサパサしてなく、しっかりと鶏肉の味わいがあります。つくねも含め、タレがしつこくないのもよかったです。

もう一品、秋田駅・関根屋「いわて短角和牛弁当」を購入。Img_5936 Img_5939 掛け紙に「岩手と秋田の仲良し弁当」と書かれている通り、岩手のいわいずみ短角牛とあきたこまちを使用しています。もともとは、東北新幹線全線開通を記念して発売された駅弁ですが、大震災後、お互いに助け合うという意味も込められていると勝手に解釈します。

解説が付いており、岩泉町では、この短角牛を肥育する生産者は7人しかいないそうです。こうした和牛は貴重な存在で、ぜひとも守り続けてほしいと思います。

被災した東北地方の復興を願って、東北地方の食材を使ったものをどんどん買っていきたいですね。、

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2011年6月 4日 (土)

【東京】“634”に達した東京スカイツリー

来春完成予定の東京スカイツリー。先日、タワーが最高地点の634(ムサシ)mに達したというニュースがありましたが、大震災後の自粛ムードのためか、ひっそりとした報道になってしまいました。

建設中の東京スカイツリーの現状はどのようなものか、現地に行ってきました。

Img_5884 当たり前ですが、至近距離で見ると、高い!

Img_5880 上部はご覧の通り工事中です。

東京スカイツリーは、東武伊勢崎線業平橋(なりひらばし)駅からすぐのところにありますが、東京メトロ半蔵門線・東武線(直通)、都営浅草線・京成線(直通)の押上駅からでも徒歩圏内です。

業平橋駅の前の言問(こととい)通りに東武橋があり、ここから建設中の東京スカイツリーがよく見えるため、この橋の上でカメラを構える人が多く見られます。

Img_5879 現場には、こんな表示も。

Img_5878 東京スカイツリーのそばを、東武特急スペーシアが通過していきます。

Img_58941 業平橋駅は、浅草駅から一駅の、現在は小駅ですが、スカイツリー完成後は、東京の新たな観光スポットの最寄り駅として、利用客が激増するのは間違いないでしょう。
来春には、駅名も「とうきょうスカイツリー」に改称される予定です。それに備えてか、現在、駅もリニュアル工事中です。

Img_5888 業平一丁目交差点付近。このあたりは、現在は下町そのものといった雰囲気ですが、スカイツリー完成後は、新たな東京の名所として、どのような変貌を遂げるのか、注目されます。

※ タイトル写真を、東京スカイツリーをバックにした隅田川の風景に変更しました。

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2011年6月 3日 (金)

【レトロ】「子連れ狼」の主題歌の場所とは

今回は、40代以上の方限定の話題になるかと思います。

昭和48年(1973年)から、日本テレビ系列で放映された時代劇ドラマ「子連れ狼」(拝一刀=萬屋錦之助・大五郎=西川和孝版)の主題歌をYou Tubeで見つけました。

「子連れ狼」の主題歌というと、「しとしとぴっちゃん・・・」の橋幸夫を思い出す人が多いと思いますが、これが主題歌になったのは、大五郎が佐藤たくみに代わった第三部からで、西川和孝主演の第一部、第二部は、ハーブ佐竹の「ててご橋」という歌でした。
橋幸夫の歌より、こちらの方が「子連れ狼」の世界観に合っているとの評価があります。

ててごと ははごと ごとごとと 一石橋で待てばよい」のコーラスで始まり、歌い出しが「迷子になったら どこで待つ」なのですが、この歌を聴いた当初は、この歌詞の意味がわからず、その意味がわかったのは、ずっと後になってからです。

歌詞に出てくる「一石橋」は実在し、この橋のたもとに「満よひ子の志るべ」というのがあり、迷子や尋ね人の告知板の役割を果たす場所であったということです。

この一石橋の名前の由来は、橋の両端に後藤家があり、両家の援助で橋が再建されたことから、「五斗と五斗(後藤と後藤)で一石」ともじったものだそうで、歌詞の中の「ごとごと」というのも、それにかけているようです。だとしたら、この作詞家は相当なセンスがあることになりますが、この歌詞はオリジナルではなく、もともと子守唄にあったものであるとの指摘もあります。

さて、この一石橋は現存しています。外堀通りの日本橋川に架かる橋で、八重洲方面から日本橋本石町方面をつなぐ重要な役割を果たしています。橋の北側は、当時の幕府金座、現在の日本銀行があります。
歌の中では「いっこくばし」と歌われていますが、橋の表記は「いちこくはし」となっています。どちらが正しいということはなく、両方使われているようです。Img_5869

橋の南側に、「満よひ子の志るべ」と書かれた石標があり、「一石橋迷子しらせ石標」として東京都指定有形文化財となっています。Img_5868 Img_5866

有形文化財ゆえに、このように金網が張られていて見にくいのですが、保護すべき歴史資料なので仕方がないところでしょう。

Img_5862_2

日本橋は、江戸文化の中心として栄え、その面影を残す場所もあるのですが、日本橋川の上には首都高速が走り、一石橋の下流側は首都高速の入口になっており、風情も何もない現代の東京そのものであるのは残念です。
この橋の下流にある日本橋ともども、今一度、景観論争が巻き起こってもおかしくはないと言えるでしょう。

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