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2010年9月15日 (水)

【レトロ】80年代の巨人のエースを争った江川卓と西本聖②

(前回からの続き)

1979年、金子コミッショナーの強い要望(私に言わせれば横暴)により、小林投手とのトレードで江川は巨人入りを果たしますが、開幕から2ヶ月間、一軍登録の自粛を余儀なくされます。
この間、江川はイースタンで登板しますが、この時のおもしろい映像を見たことがあります。江川はある打者の打球を凡フライと思い、マウンドを降りかけていたところ、その打球はグングン伸びてフェンスを越えてしまいます。その打者は、新人時代の落合(現中日監督)でした。

この年、江川は9勝10敗で終えます。一方の西本は8勝4敗、初めて規定投球回数に達します。西本が江川に激しいライバル意識を燃やした理由は、自分が苦労して手に入れつつあったローテーションの座を、江川に簡単に奪われてしまうことだったとのことです。
また、同期の定岡は簡単に追い抜けたので、これからエースを争うのは江川であると意識していたようです。

この当時、江川は、なんで西本はあれほどまでに自分を意識するのか、という思いだったようです。いわば、西本が一方的にライバル視しており、江川はそれほどの意識はなかったと回顧しています。

翌1980年は、二人は先発の柱となり、江川は16勝12敗で最多勝、西本は14勝14敗でした。

そして、長嶋監督が去り、王が現役引退、藤田監督が就任し原(現巨人監督)が加入した1981年、巨人は快進撃で4年ぶりにリーグ優勝を果たします。江川は20勝6敗、防御率2.28で投手2冠、他に勝率、奪三振、完封もリーグトップと現役最高の成績をあげ、セ・リーグMVPも獲得します。
一方の西本も、18勝12敗、防御率2.58と好成績を残し、日本シリーズでは2勝をあげ最優秀選手に選ばれます。しかしながら、シーズン中の成績は、いずれも江川には及びませんでした。

そして、迎えたオフ、両者の関係を決定的にする事件が起こります。投手最高の栄誉とされる沢村賞(当時はセ・リーグのみが対象)は、誰もが江川で決まりと思い、記者会見の会場も用意されていたと言います。そこへ、「沢村賞は西本」の知らせが入り、記者の質問に江川は珍しく声を荒げたそうです。

当時の沢村賞は、記者投票で決定されており、入団のいきさつから江川に良い印象を持っていなかった記者の票が西本に流れたことは明らかでした。西本の受賞理由として、「投球回数は江川より多い」「巨人が独走態勢を築いた序盤は西本の方が上回っていた」という取って付けたようなものから、「ピッチングフォームが沢村栄治に似ている」という冗談のようなものまでありました。(江本孟紀は著書の中で「沢村賞が物真似大賞なら西本は毎年受賞するかも」と皮肉っている)
なお、この影響からか、翌年以降は、沢村賞の選考はプロ野球OBによるものに変更されています。

江川は、当時を振り返って、「選考理由に人格も入るんだ」と思ったそうですが、プロ入りの際の最大の目標にしていた沢村賞を西本に奪われたことで、江川にも西本に対するライバル心が生まれます。

もうひとつ、江川は忘れられない出来事として、1983年の西武との日本シリーズを挙げています。
第1戦に先発した江川は序盤に崩れ敗戦。第4戦は同点で降板しますが、この試合で肉離れを起こしてしまいます。
一方の西本は、第2戦で完封勝ち、第5戦も完投勝ちし、巨人が3勝2敗と王手を掛けて第6戦を迎えます。

第6戦、巨人は、9回表に中畑の三塁打で3-2と逆転。いよいよ日本一まであと1回、ブルペンでは江川と西本がウォーミングアップをしていました。
この時、江川は、当然自分が指名されるものと思っていました。江川によると、「この時初めて投手生命を掛けてもいい」と思っていたそうです。が、藤田監督が指名したのは西本でした。

不幸にも、西本は同点に追いつかれ、延長10回裏に江川が登板しますが、金森にサヨナラ打を浴びてしまいます。
江川は、もし9回裏に自分が登板していれば、押さえる自信があったと回顧しています。一旦気が抜けた状態の10回裏は、打たれたのは必然であったそうです。

結果的に、第7戦では西本が先発し逆転負けを喫して、西武に日本一をさらわれてしまいますが、江川にとっては、第6戦の9回裏に、自分ではなく西本が選ばれたことだけが印象に残っている、と語っています。

「ライバル伝説・・・光と影」の番組内では、両者が再会し、江川は沢村賞と1983年の日本シリーズの一件を話題にしましたが、西本が江川に対して質問したのは、「自分のことをどう思ってくれていたのか」でした。
江川は即座に、「唯一のライバル。西本がいなかったら、俺はもっと手を抜いていた」と答えます。この言葉を聞いた西本がうれし涙を流したのは印象的でした。

江川は、西本が投げる試合では、「負けろ、打たれろ」と心の中で叫んでいたと言います。それは西本も同じでした。(私は「二人とも負けろ」でしたが・・・スミマセン)
同じチームにいて、そう思えるのは本当のライバルだからこそで、それは西本しかいなかったと江川は言います。

現役中は、周囲が犬猿の仲のように書きたてていたため、二人は仲が悪いと思っている人が多いようですが、1つ年下の西本が「卓ちゃん」と呼んでいるように、実際は仲がいいことがわかります。

天才と雑草に例えられた二人。この二人が支えた1980年代は、プロ野球の黄金時代であったと個人的に思っています。ナベツネによると、巨人戦の視聴率が最も高かったのは1983年だということです。

最後に、西本の引退試合を企画したのは、すでにタレントになっていた同期の定岡正二で、桑田、山本昌、立浪、山崎武らが参加し、最後に長嶋監督が打席に立ったことを付け加えておきます。

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コメント

隅田川散歩さんがプロ野球にこんなに蘊蓄のある人とは知りませんでした。江川と西本は漠然と不仲位しか知りませんでしたから。
現在落合監督率いる中日が首位になっていますが、若き日の落合のエピソード他にもあれば、お願いします。

投稿: 稲口町 | 2010年9月16日 (木) 07時40分

江川と西本が不仲というのは、マスコミが作り上げたものだと思っています。ただ、真のライバルであれば、現役中は仲良くはしないものでしょう。
プロ野球が一番面白かったのは、江川がいた頃だと思っています。最近はメジャーへの流出で、空洞化が著しいですからね。
このカテゴリーのテーマは、「昔はよかった」というオヤジ的のものなので。

中日は優勝するでしょう。やはり最後は投手力がモノをいう。そういえば西本も中日に在籍して20勝したことがあったのですが、中日時代のエピソードはあまり知りません。

投稿: 隅田川散歩 | 2010年9月16日 (木) 18時30分

中日に来てからの西本の印象はライバルの江川が早々に引退したのに、頑張っているなという事と練習なども当時若手だった山本昌などの師匠格のような印象でしたね。

投稿: 稲口町 | 2010年9月21日 (火) 07時31分

隅田川さんのお見立て通り中日が優勝しましたね。12球団一の防御率をたてに、一点を守り勝つ野球で巨人、阪神に競り勝ちました。
落合監督になり、7年間でリーグ優勝三回、悲願の初の日本一、毎年Aクラス確保と素晴らしい成績です。それでも現役時代からの言動もあり、落合監督を嫌うマスコミ、世間一般の人は多いようですが。

投稿: 稲口町 | 2010年10月 3日 (日) 17時35分

これでCSも名古屋ドーム開催ですし、アドバンテージ1勝もあるから、どちらが出てきても中日が圧倒的に有利でしょう。
ソフトバンクには悪いですが、西武に出てきてもらって撃破してほしいですね。前回の日本一は2位からの勝ち上がりだったので、リーグを制した今年日本一なら文句はないでしょう。
落合監督に関しては、マスコミに媚びるようでは逆に魅力がなくなるような気がします。歳を取るにつれ、ノムさんのように愛されるキャラクターに変貌するかも知れませんよ。

投稿: 隅田川散歩 | 2010年10月 3日 (日) 20時17分

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