« 【駅弁】小田原駅・東華軒 新作駅弁2種 | トップページ | 【レトロ】80年代の巨人のエースを争った江川卓と西本聖② »

2010年9月14日 (火)

【レトロ】80年代の巨人のエースを争った江川卓と西本聖①

ブログを開始して約1年。自分が興味あるいくつかのカテゴリーのもとに書いてきましたが、どうにもネタ切れになって、更新を怠ること甚だしい(汗)。

そこで、新カテゴリーを設けて、今書きたいことを書く、それもアリなのでは、と思いつきました。先日、理髪店で、いわゆる「床屋のよもやま話」をしているうちに、昔話が多いですね的な話になりました。そういえば、私も死期が近づいてきたのか(冗談)、昔のことを思い出すことが多くなり、youtubeでかつての画像を検索することが多くなったことから、新カテゴリーとして、【レトロ】を追加することにします。
主として、昭和の話題を中心としますが、時折、はみ出すことがあるかも知れませんが、ご了承ください。これで5回くらいはネタができたか(苦笑)。

昨年7月、TBSで「ライバル伝説・・・光と影」というドキュメント番組が放映されました。ここで取り上げられたのが、1980年代、巨人のエースを争った江川卓と西本聖の二人の投手でした。

あらかじめ断っておきますが、私は自他共に認めるアンチ巨人(この言葉もあまり聞かなくなったが)ですが、その最大の原因を作ったのが、他ならぬ江川であります。
それ以前は、長嶋の引退試合も、王の世界記録もリアルタイムで見ており、特に巨人が嫌いという訳ではありませんでした。ただ、江川の存在がなければ、これほどまでにプロ野球に興味を持つことはなかったかも知れません。

作新学院時代の江川の記憶は、当時小学生でしたが、現在も鮮明です。なにしろ、打者は投球がミットに入ってから振っているのだから、当たるわけがない。センバツの準々決勝では、私の地元・今治西と対戦し、なんと1安打20奪三振(現在もセンバツ記録)。とにかく打てる気がしなかったのを覚えています。

続く準決勝では、広島商が待球策と足でかき回す攻撃で江川は逆転負けを喫します。ダブルスチールで捕手の三塁送球が悪送球となったとき、思わず大声をあげた記憶があります。
ちなみに、この時の小倉捕手は、その後、亀岡と姓を変え、自民党衆議院議員となりました(昨年の総選挙で落選)。
広島商は、決勝で横浜(初出場、若き渡辺監督が率いていた)に敗れますが、夏に全国制覇を成し遂げます。広島商の佃投手、金光、楠原選手は法大で江川のチームメイトになります。また、川本選手は後に広島商の監督になり、昭和最後の甲子園で優勝し、NHK高校野球の解説を務めました。
ただ、これら主力選手は、プロには進まず、後にプロで大成したのは、地味だった達川捕手でした。
佃氏と川本氏は若くして亡くなられたそうです。また、横浜の永川投手もヤクルトに入団するも芽がです、引退後35歳の若さで急逝しています。

夏の大会では、初戦で江川と対戦した柳川商は、普通の構えでは打てないと判断し、バントの構えから当てにいく作戦をとります。現在ではバスターと呼ばれる戦法ですが、当時は奇策でした。柳川商は、いい所まで追い詰めたものの、延長戦で作新がサヨナラ勝ち。
そして、2回戦では銚子商戦で0-0のまま延長戦となり、江川は押し出しサヨナラで敗退します。作新は、完全な江川のワンマンチームで、貧打だったことがわかります。

その後登場した、桑田真澄や松坂大輔は、記録の上では江川の上をいきますが、強力打線の力を借りた部分もあり、高校時代の実力では、断然江川のほうが上だったと断言できます。

江川と甲子園で対戦した選手のうち、プロで大成したのは、前述の達川だけです。一説によると、江川のあまりのすごさにショックを受け、自信喪失したのが原因ではないかとのことです。
その達川は、江川が一番すごかったのは高校時代だといい、これと同意見も多く聞かれます。江川が高卒後すぐにプロ入りしていたら、300勝以上していたかも知れません。

一方の西本。実は、私は松山商時代の西本を直に何度か見ています。地元では1年生の時から注目されていました。というのも、西本の兄は、松山商のエースとして甲子園で準優勝し、ドラフト1位で広島に入団した、地元では有名人であったからです。

余談ですが、あの衣笠の連続試合出場は、西本兄に代わって出場(西本兄は野手に転向していた)した試合からスタートしています。そして、連続出場が最大のピンチとなったのは、広島球場で西本弟から死球を受けた時でした。この試合は、土曜日でNHKが放映しており、大乱闘になったのを覚えています。衣笠は、翌日も強行出場し、江川の球を思い切り三振して連続出場を継続しています。(このエピソードは「週刊ベースボール」より)
なお、西本兄は、現在、松山市内で「ホームラン」という料理店を経営しています。

西本は、2年生の時、県大会の準々決勝で南宇和の藤田学投手(ドラフト1位で南海に入団し新人王)と投げ合い、敗退します。この試合は、松山球場で見ています。
3年生の夏、今年こそは甲子園、と言われながら、またも準々決勝で帝京第五に1-0で敗れ、甲子園の夢はついえます。この試合は、松山商が再三のチャンスを生かせず、監督はその後解任されています。

甲子園に出場できなかった西本は、全国的には無名で、ドラフトで指名されることはありませんでした。この年の、巨人のドラフト1位は鹿児島実の定岡で、プロ入り後の西本の最初のライバルとなります。

その西本は、ドラフト外で巨人に入団します。地元紙では見出し付きで報じられたと記憶していますが、おそらく地元以外の人は、誰も知らないでしょう。

西本は、プロ入り後、その努力の甲斐あって、1軍ローテーション入りを果たします。そこへ、あの大騒動の末、江川が入団します。

入団までの経緯がこれほどまでに違う江川と西本。当初は、西本が勝手にライバル心をむき出しにし、江川はやり過ごしていたようですが、ある出来事を境に、二人は真のライバルとして意識しあうようになります。

(続く)

|

« 【駅弁】小田原駅・東華軒 新作駅弁2種 | トップページ | 【レトロ】80年代の巨人のエースを争った江川卓と西本聖② »

レトロ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/546626/49432405

この記事へのトラックバック一覧です: 【レトロ】80年代の巨人のエースを争った江川卓と西本聖①:

« 【駅弁】小田原駅・東華軒 新作駅弁2種 | トップページ | 【レトロ】80年代の巨人のエースを争った江川卓と西本聖② »