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2010年9月26日 (日)

【レトロ】大横綱・北の湖とそのライバルたち

横綱・白鵬が全勝優勝し、62連勝を飾り、来場所にも双葉山の69連勝を破る可能性が高くなってきました。この無敵の横綱にケチを付けるつもりは毛頭ありませんし、外国人力士が偉大な双葉山の記録を塗り替えるのは好ましくない、という気もありません。

プロ野球の世界では、王のシーズン55本塁打を外国人選手が破ろうとした際、敬遠攻めしたことがありましたが、こうした「島国根性」がプロ野球の人気を衰退させ、選手のメジャー流出の一因となったと思っています。

スポーツの世界では、外国人であろうとも、実力が伴えば評価されるのが当然であり、そのスポーツの国際化につながるとしたら好ましいことだと思います。が、相撲の場合は、明らかに外国人力士の台頭が人気衰退の原因になってしまったことには、誰も異論はないでしょう。

日本人力士のふがいなさが、人気衰退の大きな原因でしょうが、それ以外に、外国人力士の力まかせのレスリング的相撲に違和感を感じる人が多いということもあるのではないかと思います。また、元横綱・朝青龍に代表されるように、日本の相撲独特の伝統やしきたりを理解できない外国人力士が多く、それを教育できない師匠の存在も問題視されています。
外国人力士の台頭によって、相撲そのものだけでなく、相撲界全体が変質してしまった感があります。相撲は、日本固有の文化であり、他の格闘技とは一線を画す必要があると思います。

個人的にも、最近は、大相撲を興味を持って見ることはなくなりました。ここでは、自分自身がもっとも相撲をよく見ていた、昭和40年代後半から50年代の話をしたいと思います。

私自身は、相撲は小さい頃からよく見ており、大鵬の時代もかすかに記憶があります。早世した玉の海との千秋楽二番が、一番古い記憶でしょうか。

昭和40年代後半から50年代というのは、ズバリ北の湖の時代でありました。
当時、嫌いなものの代名詞として、「江川、ピーマン、北の湖」という言葉がありましたが、野球への興味が江川とともにあったのと同様、この北の湖の存在が相撲への興味をそそられることになりました。(ちなみにピーマンは嫌いではありません)

北の湖のライバルとして存在したのが、輪島、貴ノ花(先代=若貴兄弟の父)、若乃花(二代目=現間垣親方)、魁傑(現放駒理事長)などですが、当時、輪島、魁傑は花籠部屋、貴ノ花、若乃花は二子山部屋の所属で、この両部屋は下町ではなく阿佐ヶ谷にあったため、「阿佐ヶ谷勢」と呼ばれ、北の湖に対抗していました。また、北の湖に何度か土をつけた金剛(現二所ノ関親方)、麒麟児(現北陣親方)も二所ノ関部屋所属で、花籠、二子山とともに二所一門の力士による「北の湖包囲網」ができていました。

とりわけ先輩横綱の輪島は、再三北の湖の前に立ちふさがりました。「黄金の左」と呼ばれた輪島と、左四つ・右上手を取っての攻めを得意とする北の湖の対戦は、必ず左四つになりました。北の湖が台頭する時期も横綱昇進当初も、右上手投げを打った所を輪島に左下手投げを打ち返されるというシーンがたびたび見られました。
北の湖が横綱昇進から2年以上も全勝優勝できなかったのも、輪島の存在が大きかったと言えるでしょう。

輪湖対決で印象に残っているのは、昭和51年初場所千秋楽の優勝を賭けた一番で、北の湖は安易に上手投げにいかず、じっくりと有利な態勢に持っていき、頭を付けます。この時のNHKの解説者が、「おっ、頭付けましたよ」と言ったのが耳に残っています。
ここまで分が悪かった輪島に対し、プライドを捨てて頭を付けにいった北の湖が印象的でした。両者の生涯対戦成績は、北の湖の21勝23敗とほぼ五分に持ち込んでいます。

もう一人、この時代で忘れられないのは貴ノ花です。軽量でありながら強靭な足腰で驚異的な粘りを発揮しました。北の富士との「かばい手」は有名ですが、これも貴ノ花の足腰のなせる技だったと言えるでしょう。
この貴ノ花が初優勝した昭和50年春場所は、おそらく昭和の相撲ファンには忘れられないでしょう。この場所は、輪島が休場で、1敗の貴ノ花と2敗の北の湖が千秋楽結びの一番で対戦、ここで北の湖が勝ち、優勝決定戦にもつれ込みます。決定戦では、貴ノ花が低い体勢から体の伸びあがった北の湖を寄り切り、ついに初優勝を達成します。
場内には座布団が舞い、土俵上が座布団で覆いつくされたのを覚えています。「土俵の鬼」と言われた実兄で師匠の二子山親方が涙するシーンもありました。

この時代の輪島、若乃花などが優勝同点(決定戦負け)が多いのも、北の湖が君臨していたからで、この二人は、北の湖がいなければもっと優勝していたはずです。ただ、北の湖がいなかったら貴ノ花は横綱になれたか、というのは意見が分かれる所でしょう。

北の湖の強さを示すエピソードとして、三重ノ海(現武蔵川親方=前理事長)は、立ち合いに「猫だまし」と呼ばれる、目の前で手を叩くという手に出たことがあります。しかしながら、北の湖は全く動じず完勝しています。

北の湖が嫌われた理由としては、強すぎたというだけでなく、いばったような歩き方、土俵で倒した相手が起き上がるのに手を貸さない、というものがありました。しかしながら、当時から性格は非常に良く、人からは好感を持たれるタイプだと言われていました。そのことは、引退後、理事長にまで昇りつめたことで証明されています。(一方の輪島は・・・)

この時代の相撲が面白かった最大の理由は、それぞれが自分の型を持っており、それにこだわりを持っていたこと。そして、各力士が相手の攻めを予想して駆け引きが見られたこと。さらに、下半身が強靭で土俵際で残し、大相撲になることが多かったことでしょう。

その後に現れた千代の富士や貴乃花(二代目)も、こうした資質を持っていましたが、千代の富士には好敵手が少なく、貴乃花は最大のライバルが外国人力士であったことが、熱い相撲が見られなくなった原因であると考えています。

とにかく今のレスリングのような相撲は面白くない。巨体で力まかせにねじふせるような一番ばかり見せつけられると、見る気がしません。昭和の良き時代の相撲を知る人の多くは、そう感じているのではないでしょうか。

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コメント

こんにちは。仰る通りですね。昭和50年代の大相撲は小学生同士でも話題になるくらい(娯楽が少なかったせいもある)各力士が百花繚乱の個性を遺憾なく発揮し土俵を沸かし続けた感が強いです。輪島VS北の湖の楽日決戦はまさにザ・横綱の象徴であり神風さんの解説と共に子供心に毎場所と言っていいほど興奮を覚えましたね☆

投稿: なにわのヒバゴン | 2015年11月21日 (土) 23時55分

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