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2010年8月29日 (日)

【東京】アキバのホコ天はいつから再開?

秋葉原に行ってきました。

Img_4895_2 この電気街がある中央通りは、かつて日曜日は歩行者天国となっており、若者や買い物客で賑わっていました。

ホコ天が中止されたのは、2年前のあのおぞましい連続殺傷事件によるもので、この夏休みには再開されるとの情報もありましたが、地元の反対や警備上の問題から、現在も再開されていません。

Img_4883 連続殺傷事件が起こった交差点付近の現在の様子。犯人の加藤某は、右手の神田明神下方面から、ホコ天だった中央通りにトラックで突っ込みました。

Img_1339 この画像は、事件直後に設置された献花台です。(2008年7月4日撮影)この献花台から供物を盗む輩も現れ、殺傷事件とともに荒んだ世相を反映したものとなりました。

さて、事件の公判も始まり、加藤被告の供述が報道されています。その人物像や犯行に及んだ動機などについてさまざまな分析がされていますが、ここでは、なぜ加藤被告がこの秋葉原を犯行現場に選んだのかという点に注目したいと思います。

加藤被告は事件当時は静岡県在住でしたが、もとは青森県の生まれで、埼玉や茨城でも勤務経験があることから、東京へは何度も来たことがあると推測されます。
本人が、「世の中が嫌になった。誰でもよかった」と供述していることから、世間を驚かせる繁華街での無差別殺人を計画したのでしょう。だとすると、なぜ新宿や渋谷、銀座ではなく秋葉原だったのか、という疑問が湧いてきます。

車両での進入が容易だった、というのも理由の一つでしょうが、個人的には、近年のいわゆる「アキバ文化」が事件現場に選ばれた最大の理由ではないか、と考えています。
加藤被告は、携帯サイトに殺人予告を書き込んでおり、アキバ文化を熟知していたのは間違いないでしょう。

秋葉原は、以前は電気街として名をとどろかせていましたが、いつの頃からか「オタク文化」の発信源として独特の文化が形成されていきました。加藤被告は、こうしたものに興味を持ちつつも、世の中が嫌になったことから、現代の象徴のようなアキバ文化に嫌悪感を抱いたとしても不思議ではありません。もし、アキバが以前の電気街のままだったなら、この事件のターゲットにはされなかったでしょう。

Img_4896 Img_4897 現在のアキバ文化を象徴する所です。街のあちらこちらに、メイド服などを着た女の子たちも出現します。また、電気製品が目当てなのか、こうしたアキバ文化が目当てなのかわかりませんが、外国人の姿も目に付きます。

Img_4875 こちらは電気街とは反対方向、昭和通り側にあるヨドバシカメラマルチメディアAkiba。専門店としては売り場面積日本一を誇るこの店舗は、つくばエクスプレスの開業とほほ同時期にオープンしました。
つくばエクスプレスの入り口はこちら側にあり、同時にJR駅も大幅に改装されました。交通の要所としての地位を得たことにより、この街に集まる人が増えたことも、この街が変貌した要因の一つでしょう。

東京の文化を語る上で、欠かすことのできない存在となった秋葉原。その賛否は別にして、現代を象徴する街となったことは事実であります。事件の後遺症から立ち直るためにも(もっともこの街を訪れる人の大半は忘れているでしょうが)、ホコ天は再開してほしいものです。

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