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2010年7月31日 (土)

【東京】第33回・隅田川花火大会

ネタがない時は全くないのに、ある時は重なるものです。「隅田川」を無断借用(?)している以上、このネタを書かない訳にはいきませんね。

東京の夏の風物詩となった隅田川花火大会。今日は街でも浴衣姿の人を多く見かけました。
本来なら、浅草あたりまで行けばいいのですが、混雑する所はパスして、遠くから眺めることに。貧乏人のT君は、蔵前のマンションに住んでおり、よく見えるそうで、会社の人たちを招待していました。

Img_4812 隅田川に架かる清洲橋からの浅草方面の眺めです。ここからでも花火を見ることはでき、人が集まっていますが、さすがに遠すぎる。

そこで、隅田川テラスと呼ばれる河川敷を上流に向かって歩くことにします。

Img_4835 新大橋付近です。隅田川は、海水が逆流するので、満潮時にはこのようにテラスまで川の水が上がって来ることがあります。ここからでは、低すぎて花火は全く見えません。

Img_4822 両国橋近くの、人が集まっている場所にやってきました。ここからならなんとか見えます。両国橋からはよく見えるようで、車両は停車しないよう呼び掛ける声がさかんに聞こえます。

Img_4818 右手にあるマンションが邪魔にならない所まで来ました。

カメラを高感度に切り替えますが、一瞬なのでなかなか難しい。

Img_4825 本当はもっときれいに花開いた瞬間を撮りたかったのですが、どうしても遅れてしまう。プロのカメラマンのようにはいきません。機材も違いますし。

ところで、花火の知識をひとつ。
隅田川花火大会の起源は、1733年、八代将軍吉宗が、大飢饉の犠牲者の慰霊と厄除けのために水神祭を行い、両国で花火を打ち上げたとされています。

花火の打ち上げの際の掛け声、「たまや~」「かぎや~」というのは、江戸時代に活躍した玉屋、鍵屋という花火屋の屋号で、玉屋は両国広小路、鍵屋は日本橋横山町にありました。
玉屋は、鍵屋からの暖簾分けで開業しましたが、庶民の人気は高く、当時の浮世絵にも玉屋の花火船ばかりが描かれています。鍵屋が幕府御用達だったのに対し、玉屋は庶民派だった訳です。その後、玉屋は失火により廃業に追い込まれてしまいますが、庶民の人気が高かったことから、「たまや~」の名前が残ったということです。(出典:ロム・インターナショナル編「東京を江戸の古地図で歩く本」河出書房)

隅田川花火大会は、幕末の動乱や第二次世界大戦、戦後には警備の問題でたびたび中止されています。昭和36年までは「両国の川開き」の名で行われていましたが、交通事情の悪化から中止され、場所を上流に移して現在の「隅田川花火大会」となったのは、昭和53年と、意外と新しいもので、今回が第33回となります。

江戸からの伝統を引き継ぐこの催しは、ぜひとも後世に伝えていきたいものです。

※ 貧乏人のT君から画像が届きましたので追加します。

100731_193110

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